2010年12月30日木曜日

※本日のお知らせ※

オイレンシュピーゲル おまけ漫画
 二階堂さんのフルデジタル初挑戦。
 サンタさん!(゜Д、゜)

web用(フラッシュ)
http://www.hikaru-nikaidou.com/2010xmas/


携帯用(パケット放題推奨)
http://www.hikaru-nikaidou.com/2010xmas/mobile/p/eulen_2010xmas_k.pdf


iPhone、iPad、iPod(パケット放題推奨)
http://www.hikaru-nikaidou.com/2010xmas/mobile/p/eulen_2010xmas_apple.pdf

2010年12月28日火曜日

※本日のお知らせ※


『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH 』 

 大好評上映中!!
 http://www.fafner.jp/h-and-e/

観客動員数、ミニシアター系トップの第一位を記録!!

ぴあ出口調査、「初日満足度ランキング」堂々の第二位!!



※本日のいただきもの※


劇場版『マルドゥック・スクランブル第一部・圧縮』 公開直後、GoHandsさんよりお祝いのケーキをいただきました。美味しかった(゜Д、゜)

なおGoHandsさんも、『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』に参戦! スタッフロールに登場しています。企業の垣根を越えたクリエーター魂とトップの指揮にエールを!

『マルドゥック・スクランブル』小説&漫画の合同サイン会に続き、先日の『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』公開初日オールナイト・オフ会にてクリスタルをいただきました。とっても綺麗!キラキラがフェストゥム仕様!(゜Д、゜)




もうすごい!(゜Д、゜) 同じくオールナイト・オフ会でテーブルを飾っていたドールを、なんと制作者の方からじきじきに頂いてしまいました。髪形から制服から総士が実はちょっと微笑んでたりとか、どえらいクォリティです。プレゼントを届に行ったはずが、逆に頂いてしまって申し訳ないやら嬉しいやら。大切にします。



逆光で。

「お前、なのか…」

みたいな。
ふふふ。(゜Д、゜)





またすごい! 同じくオールナイト・オフ会にて、ファンの方々による寄せ描きスケッチブック! キングレコードさん宛てや、平井久司さん宛てのブックも用意されていました。いったいどれほどの時間を頂いてしまっているのか。過去一年半の制作の苦労がいっぺんに報われます。ありがとうございます。



2010年12月17日金曜日

※本日のお知らせ※

『蒼穹のファフナー』舞台化!!
http://exanime.exblog.jp/13824109/
 羽佐間容子役の葛城七穂さん企画、羽原監督も協力の舞台化。
 六年経っても愛される幸せな作品だなあと思います。
 冲方も18日辺りに拝見する予定。楽しみです。

『蒼穹のファフナー HEAVEN&EARTH』
 12/25公開まであと僅か!
 ガンバレ制作陣!後もう少しでゴールだ!消耗戦だ!
 というわけで乞うご期待。

TAFがすごいことになっております
 くだんの都条例可決にともない、TAF(東京国際アニメフェア)への出展中止が続出。
 『マルドゥック・スクランブル劇場版第二部』につきましても改めて時期が来次第、ご報告させていただきます。
 都外イベント決行なるか。
 関係各社がここまで一丸となったことなんて今までありません。


※試論メモ※
 政権交代で都議会もずいぶんおかしな状態になった。ここまで事態をこじらせてでも一部の支持層にアピールしたかったのか。早くも一時代の終わりを感じてならない。麻生元首相と完全に逆の手法とはいえ、狙いはほとんど同じだ。本来、ただの一施策に過ぎない条例ですら、守られるべき子供たちが不在のまま「子供を守る」という架空の政治的アピールの胡散臭さを引きずったままだ。

 「子供を守る」は「地球を守る」と同様に説得力があるようでいて、現場の働きを無視すれば結局のところファンタジーにすぎない。現実に傷ついた子供たちを保護すべく奔走している現場を都が補助するという話がまったく出ないことに失望を禁じ得ない。

 「漫画家はバカだから意見を聞く必要はない」といった昔ながらの挑発の巧みさも、今では空転気味だ。政治家が自ら軽んじられる方向へ流れ始めた。どこまで政治生命を保てるのか。あるいは思い切った転身への助走か。
 現都知事がかつて出馬したときのアピール「石原裕次郎の兄です」「都政はバカの集まりだ」のときから、支持者層コンプレックスを抱えた姿勢はついに変わらず。果たして初志は貫徹されたのだろうか。彼の「自己実現のために政治家になった」意義はどのように精算されるのか。

 次の十年に向けて、都もメディアも、さらなる新時代に入る幕開けに思われてならない。
 

2010年12月8日水曜日

【映画化】※本日のお知らせ※【決定帯登場】


『天地明察』八代目帯完成!
  じきに書店でも販売開始。過去七代とは一線を画す、賑やかな振り袖帯となっております。
 派手だ。
 映画化という、これから長い戦いが始まる景気づけでございます。


『天地明察』が舟橋聖一文学賞を受賞しました!
http://longlife.city.hikone.shiga.jp/funabashi/
 本屋大賞、吉川英治文学新人賞、北東文芸賞に続き、さらに授与されました。
 さらなるプレッシャーと奮起の機会をいただけたこと、改めて多くの方々に育てていただき、選考作品として下さったことに、深く感謝を申し上げます。
 かえすがえすも生(?)「ひこにゃん」が見たかったです。



都条例および諸議論に対する試論

 先日の都条例に関することで、多少の試論を追加したいと思います。とはいえ、コメントを求められ、さらに対抗意見に対するコメントを求められ……と、ひっきりなしの循環は望むところではありませんし、現在の僕の仕事ではありません。この件についての取材は一切ご遠慮願いますが、代わりにあらかじめ試論を載せますのでご参照下さい、という次第です。
 また、ここでの試論は、これまで人類社会が見出してきた表現の自由や差別を受けない権利などの偉大な権利についての議論とは、まったく異なります。
 なぜなら、条例の対象となっている「子供にふさわしくないものを、子供に見せない・買わせない」ことに対し、敢然と主張する子供たち、もしくは子供たちの代表者たることを自任する者によるそうした言論が、今のところ存在しないからです。
 たとえば、「日本人は子供を守らない」という世界的なバッシングによって観光客が激減し、貿易にも支障をきたすとか、逆に「子供にも性行為の権利と能力があるし、その表現や知識習得は当然の権利だし、何より性行為と強姦は別物だ」などといった「子供性行為権」のようなしろものが子供やその代弁者の側から大々的・世界的に取り沙汰されるなどといった事態にならない限り(なるとも思えません)、話はいたずらに大きくすべきではないし、議論の範囲を拡大すべきではありません。
 あるのは「子供を対象とする性的描写と、子供の自由意志を破壊することを肯定する描写もしくは現実問題」についての、政治上・商業上・教育上の議論であると認識しております。
 これらに関し、特に意識すべき、もしくは議論されるべきことがらがあるのではないか、という点を下記に述べます。


1)「大人」の定義を消失させてはならない
 人間は模倣する――ではいつから、どのようにして選択するのか?
 模倣の重要性は、子供を見ればわかる。目にした行い、聞いた言葉、経験されたことがらを自ら反復し、再創造することで人間は学習してゆく。その学習の意味を理解するのはたいてい後になってから、幾多の反復に何らかの価値観・人生観・世界観が伴うように――もっといえば記憶がきちんと蓄積されるように――なってからである。なぜ「子供に見せない・買わせない」ようにするのか。その根拠は、彼らにはまだ模倣する力だけがあり、そこに独自の「責任能力・判断能力・選択能力がない」からである。だからこそ親はまず何より、子供の手が届くところに危険な物品を置かないことに苦労させられる。父親の拳銃で遊んでいるうちに、誤って四歳の弟の頭を吹き飛ばしてしまった八歳の男の子の話を持ち出すまでもなく、それが子供を守る最も大切な行為であるからだ。
 次に、子供たちに知恵がつくに従って、子供たち自身がそれらの物品の正しい扱い方を学習できるようになると、今度は次々に子供が自由に扱える物を増やしてゆかねばならなくなる。そうなるとやがて親は、物品そのものではなく、それらがもたらす「影響」について考えざるを得なくなる。それほど子供の模倣能力は驚くべきものであるからだし、再創造する力は、ときとしてたやすく大人の想像を裏切るからである。しかも肉体的な能力は、どんどん大人と変わらないしろものになってくる。親やその周辺の大人たちは、子供を、自分たちの一員として――大人として――迎えるためのあれやこれやに奔走させられるが、大事なのは、その条件である。いったいどのような条件を満たせば、彼らは大人であると――独自の「責任能力・判断能力・選択能力」があり、かつそれらに失敗した場合、正当で社会的な罰則を科されるに値することになるのだろうか。
 法における「十八歳」という年齢区分は、いわば人間そのものを『成人コーナー』に区分する行為である。いったい十七歳と十八歳の間に、もしくは十八歳の周辺には、何があるのか? なぜ世界的にも、「十六歳」「十八歳」「二十歳」という年齢設定が効果的な基準として取り入れられているのか?
 最大の根拠は、義務教育とその後の高等・一般教育である。学校の教育がひと段落したからには、大人になる上でのそれなりの用意ができていなければならないし、用意が不足している場合であっても、彼ら一人一人が自らその不足を補ってゆけるだけの能力は身についているはずだ、という根拠である。
 よって年齢そのものにあまり意味はなく、教育が完結したからには「大人になっているはずだ」というのが「十八歳」という設定の根拠である。また、だからこそ、今回の法案においても学校やPTAによる関心や監視といった教育現場からの根拠作りが取り沙汰されている。
 だが果たしてこの根拠は、正しく「議論の根拠」として有効に自覚されているだろうか。
 というのも、「教育が終わっても大人になっていない未熟な者たちがいる」といった意見が散見されるからである。そしてそうした意見が、この「十八歳以上=大人=教育の完了」という年齢区分を――「十八歳大人説」を――曖昧にさせ、人間の『成人コーナー』の縮小や拡大のみならず消失といった恣意的で無秩序な議論を招いているのである。
 議論の共通了解が破綻し、代わりに、「精神的な成熟」という、いまだ実証不能の尺度が出現するわけだが、この言葉ほどわかりにくいものはない。肉体の成熟ならば、身長や体重や骨格といった「見た目」で判断できる。もし本当に「性的行為の許可証」のようなものを行政がもたらすとしたら、その根拠は、教育現場ではなく、医療の現場に求めねばならないだろう。純粋な身体検査によって「今日から性的行為に励んでよろしい」となる。もし身体に不備があれば、「治療」の対象にされる。どちらにせよ医療の現場から、「正しい医学的知識に裏付けされた性行為の知識」を学ぶ。検査の結果によっては「十二歳の大人」も、「二十五歳の子供」も現れるだろう。肉体の成熟だけを議論するならば、実際はそのほうが現実的だ。
 だが我々が実際に生活している「現実」はそうではなく、むしろそうした医学的知識の習得と正しい実践を、自主的に行えるだけの「責任・判断・選択の能力」を身につけることのほうが重視されている。そしてそれらの能力は全て、社会生活の中で他者の評価を待たねばならない不可視の成熟である。医療的な根拠はなく、「大人っぽい」「大人らしい」という他者の評価が全てとなる。
 よって、議論に際して一方的に、あるいは互いに成熟評価を下し合うことになれば、議論の土台そのものが希薄になるばかりか、教育の完了を前提とした「十八歳大人説」が消滅してしまう。「十八歳になっても精神的に成熟していない」ということは、その成熟の根拠を、教育現場以外の何かに求めねばならなくなるということである。そして我々は今のところ、教育現場以外に、人間を「精神的に成熟した大人として公的に認める」根拠を有していない。
 にもかかわらず、今回の規制を巡る議論において「精神的に未成熟な大人」といった矛盾した言葉がしばしば登場し、あたかもそれが喫緊の問題であり、かつ「精神的に成熟した大人」という解決策を示唆しているかのような(もしくは実際にそうなのかもしれないが、今回の規制とは根本的に別問題だ)扱い方をされる。
 正しく議論することを目的とするなら、これは「言ってはならない議論上のタブー」である。だがこのタブーがあっさり破られ、なし崩しになっているところに驚きを禁じ得ない。
「子供に見せる・見せない」以前に、いったいこの社会の誰が、どのような根拠で、「大人」であるのか? その「大人」とは、いったい何者で、どのような役割を負っているのか? もし本当に「未成熟な大人」がいるとしたら、それをどのように扱うのが社会的に正しいことなのか?
 自己の「責任・判断・選択」の能力があり、また義務づけられてもいる「大人」の論理的根拠が崩れたとき、当然のごとく出現するのは、「私は大人だが、君たちは違う」といった自己主張的な強弁である。根拠がないのだから強弁するしかないし、もとから他者の評価をもとにした根拠なのだから、逆に他者に「大人ではない」評価を押しつけることで、相対的に「自分は大人である」ことを主張せねばならなくなる。この馬鹿げた強弁の押し付け合いが、今回の規制にまつわる多くの議論を空疎なものにしているのである。中でも「私は大人だ」という根拠を、「私はこれまでこのような異性との性行為を経験してきた」という強弁に頼るなどというのは目も当てられない。いったい子供に何を見せないという話をしていたのか。
 よって、
「十八歳以上は全員が大人である」
 この根拠を決して否定してはならない。あるいは異議があるなら別の議論としてそれこそ「区分」しなければならないだろう。さもなければ議論自体が成立しないからだ。
 当然、大人は、大人として振る舞う義務を有している。互いを大人として認め合う「大人らしい」態度が必要である。そうした「大人らしい」態度を促し合うことで、いっそう誰もが「大人らしく」なる。
 そういう議論が期待されるし、そうでない議論は全て空論であると判断すべきであろう。


2)タブーは移動する

I)タブーの力学
 表現規制を誘発するのは現実の事件と、それによって生み出されるもろもろのタブーである。エンターテインメント業界においては、このタブーの扱いが問題となる。そしてこのタブーは常に移動し、そして波打つ。これを理解するには、タブーの機能と、その成立過程とでもいうべきものを理解しなければならない。
 まず、タブーになるものは何か。それは「誰でも知っているもの」である。あるいは何らかのきっかけで、誰もが知るところになってしまった何かである。
 コンゴのサバンナアフリカオニネズミが日本でタブー視されることは想像しにくい。だが、たとえば当地で日本人の三歳の女の子がサバンナアフリカオニネズミに生きたまま喉笛を噛み千切られて死んだニュースが全国的に知られた途端、サバンナアフリカオニネズミを描写することには、何らかのタブーが発生するようになる。喋るサバンナアフリカオニネズミを主人公にして、いたずら者で悪意に満ちた小さな女の子をこてんぱんにぶちのめし、最終的に少女の喉笛を噛み切って勝利する話など、金輪際――少なくともニュースが完璧に風化するまでは――出版も放映もできなくなる。
 こうした極端な例とあわせ、特に表現規制の対象となるものを考えればわかるとおり、ほとんどが「幼い頃からすでに見ているし、知っているもの」である。それが人間の肉体なら、なおさらである。母乳で育った子供が大勢いるのに、何を今さら女性の乳首を映す映さないが取り沙汰されるのか――理屈ではそうなるが、タブーにおいてはそうならない。
 このようなタブーの主な機能のうち、一つは文字通り「禁忌」であり、聖域のような貴く触れがたい観念にまつわる機能である。その一方が、「警告」であり、危険で不快な観念にまつわる機能である。これらのうち「警告」が、もっぱらエンターテインメント業界では、慎重に議論すべきこととして取り沙汰されやすい。
「禁忌」は、どちらかといえば喜ばれる。「初めてカメラによる撮影に成功しました」「ついに解禁されました」「禁断の」といった言葉の響きを考えればわかる。もっと言えば、当事者がはっきりしている。誰かが許可したり、踏み越えたり、実現したり、拒否されたりするわけだが、なんであれ「当事者の存在」に裏付けされていなければ禁忌とその機能は成り立たない。聖域の所有者だったり、権力者だったり、なんであれその由来がはっきりしているし、当事者と由来を切り離せば禁忌でもなんでもなくなる。
 一方で「警告」は嫌われる。しかも当事者の存在は問題ではなくなる。上記のサバンナアフリカオニネズミは、この「警告」的タブーを刺激する。別段、喉笛を噛み千切られた少女と、いたずら者で悪意に満ちた小さな女の子の間には、当事者という観点からすればまったく無関係である。だがしかしタブー視という点ではきわめて連想されやすい二つのものとして扱われる。
 こうしたタブーの変遷を理解するには、
 1)生理的嫌悪
 2)合理的タブー視
 3)非合理的タブー視
 という段階を考えるとわかりやすい。直近の経験から、合理的判断という濾過装置をくぐりぬけて純粋化され、非合理的タブー視に至るのが、たとえばエンターテインメント業界でのタブーの発生過程の単純な図式である。何もかもがタブーになるわけではない。だがいったんタブーとして認知されると、強固な効果を発揮し始める。
 簡単な例で言えば、「ヒ素カレー」である。事件そのものは保険金殺人であるが、これによって「カレー」が一時期、生理的嫌悪を催すもの、なんとなく嫌な気分を誘発するものとして、ほとんどあらゆるメディアから消えた。テレビにカレーを映すことそのものがタブー視されたわけである。
 これが、事件の進展とともに、合理的なタブー視に変化する。カレーを映して良い場合と、悪い場合に区分される。殺人事件のニュースの直後にカレーを映せば、容易に連想が働くから避けるべきだが、何の連想も生じさせないであろう番組であれば放映できる、といった判断が働くのである。
 やがて、この合理的な判断が、だんだんと非合理的なものへ変化し、定着してゆく。なぜならカレーが出現するバリエーションは、現実においてほとんど無限だからだ。
「シャツにカレーが描いてあって、そのシャツを着た人が殺されたら、放映や出版は可能か?」
 といった具合である。そんなこと、いったい誰に判断できるのか。誰も気づきもしないかもしれないではないか。だがしかし「責任・判断・選択」の能力がある大人であるからには、何かを決めないといけない。そうしたことが積み重なってゆくことで、
「はっきりカレーだとわからねば良い、これはハヤシライスだと言えれば良い、よってニンジンや肉の描写は避けるべきだ」
 などといった、ディテールが問題となる。
 しかし当然ながらこのディテールの根拠は希薄で、状況が変われば、あっさり対象は移動する。
「ニンジンも肉もOKだが、カツを乗せるといかにもカツカレーになるからダメだ」
 といった具合である。そしてこのタブーの移動が、やがて波打ち現象とでも言うべきものを起こす。
「このカツは色が紫色だからカツに見えないので、カツカレーだけどカツカレーではないということで描写が可能である」
 となる。カツである事に変わりないし、カレーであることすら変わりないのだが、自主規制の厳格さという点で、まるで波のように高くなったり低くなったりするのである。その上下運動は、「全カレー禁止」から「全カレーOK」の間に存在するほとんど無限の価値観を行ったり来たりし続ける。
 やがて、何かのきっかけや、信頼関係の構築といった点から、タブーの解決的氷解とでもいうべきものが訪れる場合もある。
 たとえば「911」事件後、「爆発」がタブー視されたことだってある。SFアクション漫画やアニメにおいて「爆発」描写を避けるために、「光らなければいい」「炎をあまり描写しなければOK」といった、目まぐるしい線引きが行われた現場がある。だが過去のエンターテインメント業界における蓄積と、何より観客との共通了解において、「爆発を描いたからといって、ツインタワーの惨劇を肯定しているわけではない」という信頼関係が強く発揮されることで――作品や制作会社のブランドへの信頼などによって――あるとき忽然と、タブーが解決的氷解を迎え、「爆発OK」が暗黙の了解となる。
 これが表現規制における単純な図式であり現実である。性描写のタブーもまた、大いに移動し、そして波打つ。


II)現代における「タブーの開拓」
 志村けんの「だいじょうぶだあ」ではゴールデンタイムに女性の乳房が堂々と映されていたらしい。だが代わりにその女性の顔が、スイカのマスクやら何やらで隠されていたことが多かったという。匿名性によるタブーの回避であろう。その女性が何者であるか、個人が特定されなければ――もっと言えばスイカのお化けといった人間ではないという設定が成り立てば――女性の乳房自体はタブーではないという考え方によるものであろう。
 現在、こうしたタブーは、より複雑化している。それはつまりディテールがよりはっきりと際だってくるということでもある。特にわかりやすいのが「乳首・陰毛・性器」である。これらがテレビ・漫画・映画において、途方もない数のバリエーションで取り沙汰されるし、海外の作品をふくめると、もっと複雑になる。三点がセットで映されなければ良いとする場合もある。一点でも写っていれば作品自体がNGとされる場合もある。
 背景が温泉であれば必然性があるので良いとすることだってある。『湯けむりスナイパー』のドラマ版は、「久々に女性の乳房が公共の電波で放映された」作品とされている。その解決的氷解をもたらしたのは、「湯けむり」という、タブーを打ち消す連想を働かせる強力なキーワードにあるだろう。決して「スナイパー」ではないことは確かだし、「遠くから覗く」ことを連想させるキーワードが、性的タブーに解決的氷解をもたらすことはない。もともと日本人にとって「混浴」は生活的な必然性のある行為である。「湯けむり」の記憶が、様々なタブーを解決的氷解に導く。
 こうしたことがらには、それぞれに、合理的・非合理的なタブーが存在し、さらにはその独自の解決的氷解の力学がある。そのような「タブーの開拓」――いったんタブー視されたものが解決的氷解に至ることで、いうなれば「安全が保証された領域」が広がるということを、エンターテインメント業界は繰り返し行ってきた。いわば「警告」の解除であり、業界に肩入れした言い方をさせていただければ、タブーとその氷解を経験することによる業界の「成熟」である。
 この点で顕著なのは暴力描写・残酷描写だ。
 今現在に限っていえば、これほど気を遣わなくてよくなったことを驚く人々もいる。暴力や残酷さの描写の大半が、「暴力や残酷さをいたずらに賛美しなければ良い」というだけで許可される。もちろん「赤い血を画面中にまき散らすのはダメ」といった、ディテールにおけるタブーの波打ち現象は幾らでもあるが、おおむね全体のタブー視の度合いからすれば、もはや「必要ない」といわんばかりである。
 もちろん残虐な事件が発生し、全国ニュースになれば一時的に全ディテールがタブーであるか否かの線引きの必要にさらされるが、その時期が驚くほど短くなったのは確かだ。中には固定されてしまった「カッターナイフで首を切る」や「首を校門の前に置く」や「子供を食べる」といった、実際の事件によるショックを考慮したタブーは厳しく存在する。
 だが、まったくダメかというと、そうではない。タブーを解決的氷解に導くキーワードや背景を用意することが、多くの場合、可能になってきている。そしてそれが倫理的な退廃であるとは思えないし、現在のところ、そういった議論はあまり聞かない。むしろ、金銭を支払って購入したのであれば、購入する者にも閲覧時のショックに関しては責任があるし、購入時に判断や選択を可能とする情報が存在する限り、問題にならない場合が多い。
 これが自主規制による一定の成果である。タブーの波打ち現象に根気よく付き合い続けることでしか、こうした社会的信頼関係は築けない。
 タブーの成立が異なる海外への販売の際も、問題になるのは根気であって、過激な主張ではない。
 このように、タブーの解決的氷解は多くの場合、可能である。そして可能ではない場合に限って、そこに何らかの社会的な特徴を発見することになる。その社会が現在抱える「記憶」とでも呼ぶべきものだ。我々エンターテインメント業界が、その制作販売の一番のニーズとしてとらえているものもまた、そうした「記憶」である。共通了解としての――この社会が今、どんな共感によって成り立っているかを教えてくれるものとしてのタブーであり、ニーズである。
 そして、そうしたタブーについての認識が不足した規制は、多くの「記憶」を消してしまう。かつて何があったかはさておき、とりあえず規制されている。規制された対象については、もはや思考を停止するのが最も妥当である。そういう態度によって、何が得られて、何が失われるのか、議論すらしなくなる。共有されたタブーとニーズが消失し、規制周辺に空白が生じる。そこに業界の「成熟」はない。
 それが法的規制の怖さであり、我々エンターテインメント業界が自主規制を尊重する理由である。
 

III)規制を唱えることが人を不快にし、感情的反発を招く理由
 今回の都条例にまつわる議論に関し、規制を主張する側が最もしてはいけなかったことは、その訴え方である。さらにその反論者にも同じ事が言える。
 行政と業界が足並みを揃えることは可能だったし、今なお可能である。事態の改善と、業界のより良い成熟を目指し、ともに一体的に努力していけるはずである。なのになぜ感情的反発を招いたか。理由として考えられるものの一つは、「規制者自身の告白のような不快感」であり、一つは、「利益の逆転と、原告不在の裁判ゲーム」である。

①規制者自身の告白のような不快感
 これは先に述べた、「大人であることの根拠を、相手を未成熟とする強弁によって証拠立てようとする空論」の、ちょうど逆の構図である。
 あるものごとをタブー視している、という自覚の根底にあるものの一つは「自分や他者がそれをコントロールしていないか、もしくはできないのではないか」という不安の自覚である。
「私は性的興奮や、興奮をもたらす物品をタブー視する」
 と主張するとき、
「なぜなら私にとって性的興奮はコントロールが難しいか、場合によっては到底コントロール不可能なものであるからだ」
 と主張しているも同じなのではないかと思わせられる場合がある。
 さらに始末が悪いのは、タブーとは何であるかを考えた場合、「それが経験的にも妥当であるという実感がなければ、本気でタブー視することは難しいに違いない」という直感的理解が生ずるところにある。
 つまりある人間が、単純に性的描写の規制を唱えた場合、
「これは私自身の経験からくる厳然たる知識である。なぜなら私自身、性的興奮を刺激されたことによって見境がなくなったか、なくなりかけた経験があるからである。その上、現在にいたるも私自身、正しいコントロールのすべはなく、そのような危険な興奮を刺激するような物品は、私をふくむ全ての人々の視線から遮蔽されるべきである」
 と、言っているかのような不快感を抱くのである。
 タブー視を公言するときに気をつけねばならないのは、こうした「暗黙に告白しているかのように感じられる」気分を誘発することである。
 加えて今回の議論では、子供が対象となっていることから、より生理的な嫌悪を強く刺激するものとなる。すなわち規制を主張する言葉の一つ一つに、
「私は規制を望む。なぜなら、かくいう私自身も子供を強姦できるとなったら、その欲求にはとても抗いがたい魅惑を感じるからだ。もし私が今より精神的に未熟な頃だったなら、こんな刺激的な品々を与えられた場合、とても我慢できずに実行に移したことだろう」
 とでも告白されているかのような、きわめて不謹慎な発言に対する不快感を刺激されるからでもある。しかもその人物が、より多くの人間に、強く規制への同意を求めれば求めるほど、
「君も間違いなくそう思っているはずだ」
 と言われているかのような気分をも味わう。タブーは共通了解と同義である。実際にそんな馬鹿げた告白が行われているかどうかは問題ではない。「そう言われているかのような、もやもやとした嫌な気分を刺激させられる」という点で、タブー視の公言そのものが、タブーを冒しているような不快感を催させるのである。
 そして、規制を唱える人間そのものに対し、「なんとまあ、そんなことを真顔で、この上なく真剣に、かつ声高に唱える恥知らずを前にして、不快感を感じずにいられるのは難しい」と感じる者が出てくる。規制を唱える人間のほうをむしろ恥知らずとして見てしまう気分の一部は、このようにして発生する。
 フェミニズムの議論を空疎なものにした理屈も似たようなものだ。「女性を尊重すると公言しているこの男は、結局のところとことん女性を蔑視しているのではないか?」という理屈である。
 あるいは、かつてホラー作品がタブー視された際の――規制の対象として真面目に議論された際の――きわめて一般的な生理的嫌悪感がある。「ホラー作品を嫌っているこの人は、まさに自分はホラー作品に影響されかけたことがある、と言っているのだろうか。何の理由もなく気分が良いからというだけで今まさにお前を惨殺することはいつでもできると言って、私を脅しているばかりか、そのことを楽しんでいるのではないか」という嫌な気分である。
 こうした主張の裏返りは、たやすくバリエーションを生み出し、
「私や君たちが育てている子供たちは今まさに強姦の危機に直面している。その危機をもたらしているのは他ならぬ私や君たちだ」
「私や君たちの家族はまったくもって犯罪予備軍であり、ただちに効果的な処置をとらねば、世の中に犯罪者を増やすことになる」
「私や君たちの子供は、今まさにポルノ商品の対象である」
 といったことを言われているかのような不快を感じる人もいるだろう。そして本来正当である主張であったとしても、自らその主張を「警告」的タブーの対象にしてしまう。
 こうしたバリエーションは、だらだらと果てしなく広がっていくし、だからこそ「考えるのも面倒になるにもかかわらず、何か言ってやらねばすっきりしない気分になる」ものとしてとらえられる可能性をいっそう助長するのである。 
 そんな気分に裏打ちされた発言が、議論に値するはずがない。タブーについての議論そのものをいたずらに感情的に、空疎なものにするばかりである。「他者へ害を及ぼさせるか、そうした影響を及ぼさせる可能性のある」ものごとを、一時的にせよ恒久的にせよ「禁ずるべき」と訴えるとき、その主張によってどういった感情が生まれるかを、慎重に考慮すべきである。さもなければ議論の正しさとは無関係に、
「かくいう私も、議論されているものに等しく危険な存在なのだ。君たちも、君たちの子供も、みんな危険だ」
 とヒステリックで身も蓋もない主張を聞かされているかのような気分を相手に与えることになる。
 もちろん、この逆もまた真なりである。規制は必要ではないという強い主張もまた、同様の不快感を催させることになりかねないし、だからこそ慎重で確実な議論が必要とされるのである。
 

②利益の逆転と、原告不在の裁判ゲーム
 単純な図式である。条例を望む側と、望まない側、危惧された事件が現実に起こったとき、どちらが有利となるか? 今このとき、子供が現実に強姦されることで、有利となるのはどちらの陣営か?
 答えは明らかに規制を望む側である。それが条例成立の何よりの根拠となってくれるからだし、規制を望まない側の反論を封じることになるからである。
 もちろん、条例成立のために実際にそのような事件を意図的に起こさせるといったことではない。そういった「連想」を人に与えるということが問題なのである。タブーは「連想」であり、それが現実になるのではないかという「空想」に裏打ちされている。
 タブー視することにおいて、「現実の規制対象とするには、その必要性を裏付ける現実の出来事がなくてはならない」と考えるのは、単純な計算能力に等しい理性の働きである。そしてこの理性によって、むしろ様々な空想と、それによる感情のバリエーションが生み出されることになる。
 その最たるものが、「結びつけられるのではないか」という不安や不快感であろう。何かが起こったときに不利になる側の強い感情である。何ら関係のない事件と、自分たちとが結びつけられてしまうのではないか。いや、今まさに結びつけられて語られているのではないかという感情である。
 さらに無関係な傍観者が、「これらのことがらは結びついているのではないか」と空想することで、それが何より「現実に起こった」ことに等しい効果を発揮する。
 これがさらに多くの人間に不快感を与える。なぜなら、今回の規制を訴える側が主張することがらが現実のものとなった場合、まず万人が不快になり、嫌悪を催すことは疑いがないからだ。あるいは少なくとも、何かしらの感情は刺激される。
 僅かな書籍の存在によって、今まさにありとあらゆる子供が性的に蹂躙され、しかも保護者が子供を商品とみなし、そればかりか子供たちが悪意を学んで、さらなる性的暴力に目覚めてゆく――そんな無政府状態の戦場さながらの現実を「空想」させられるわけである。
 しかもこうなると、現実に解決されねばならない個々の事件は、もはや無関係だ。実際よりも、いっそう残虐に誇張され、あたかも解決する力は誰にもなく、訴えを起こしている人間たちにのみ正しい解決の道が知らされているような、それこそエンターテインメント業界においては、ただ一言、「不謹慎」と呼ぶべき空想である。
 それを馬鹿馬鹿しいと判断するのは理性だが、タブーにまつわる感情は大いに刺激されるばかりであり、しかもそうした感情を抱いているという事実は現実に属する。
 そういう意味で、規制を望む側は、空想上ではあるが本来防ぐべき現実を「実現させること」で規制に根拠を与えようとしているのであり、それこそこの議論の最大の問題点を示唆している。
 議員やその支援者たちが、教育現場や保護者の会合に現れ、わざわざ少部数しか出版されていないような過激な成人向け作品を掲げ、その場にいる者たちに性的描写が満載のページを見ることを強要するのは、なんのためか。最悪の現実を空想させるためである。そうした行為を、理性は馬鹿げているとみなすが、感情はそうではない。議員やその支援者たちが、自ら最悪の現実を今まさに実現してみせたのだと感じる。しかもその現実を防ぐための規制に根拠を与えるために。
 なぜそうした本末転倒が生じるのか。原告が不在だからである。「子供を守る」という目的は正しい。だがしかし、大多数の子供たちやその代弁者たちが一斉に立ち上がり、自分たちの心と体を防ぐために規制を訴えたわけではない。あくまで一部の大人たちが、「子供のためになるに違いない」という確信にもとづいて行ったことである。
 訴えている人間がいないのだから、空想を刺激し、「今まさに訴えている子供たちを想像させる」しかない。あるいはそうした想像を可能とするような「代弁者らしい人」を引っ張り出して訴えさせるしかない。そうしたことを快いと思う者はほとんどいないだろう。むしろそうした空想を全面的に受け入れ、わくわくしたり昂揚したりする人間がいるのではないか、そういう人間こそ「危険なのではないか」というタブーの感情を刺激されることになる。
 現実に訴えている人間が不在のまま議論が進行するとこうなる。規制の根拠を訴える最も効果的な方法は、現実にそうした無惨な事件が次々に発生することである、と容易に想像されてしまう。「本来の目的からすると不利益そのものだが、目の前にある目的(条例成立)からすると利益となる」典型である。そのタブーのバリエーションは無限であるから、とめどなく想像させられる。利益や価値観の逆転による「本末転倒」は、問答無用で人を不快にさせる最たるものだし、その上、想像上のタブーが増えていくとなれば、どこまでも不快になる。そして不快になればなるほど、その不快感を与えた者を有利にし、喜ばせるという気分にさせられる。あるいは実際、その通りになる。それがまた救いようのない不快さを呼ぶ。最も簡単に楽になる方法は、そもそもそんな議論から遠ざかり、無関係でいることだ。しかしそれでは何の解決にもならないし、社会の改善から遠ざかるばかりだろう。
 本来の正しい筋道に戻るには、問題の根底にある都民の不在に目を向けるしかない。「訴えの根本を司る、政治家を動かしたはずの都民の存在」がなければ、空想による不快感は永遠に終わらないことになるし、さらにその不快感が行き着く先は、「政治家のために都民がいる」という嫌な気分である。
 その嫌な気分を回避するために、署名運動が行われているわけだし、それに対抗するために反論者もまた署名を集めるわけだが、その空疎さは避けがたいものがある。1000万人以上も人間がいる都市で、しかも誰しもが無関係ではいられないような議題で、数万人の署名を集めたところで、推進者も反論者も、どちらの陣営にもさほど説得力は生まれない。それに何より、これは多数決で解決して良い問題でもない。
 政治家やその反論者が「正しい」と主張する世界を実現するためだけに、都民が「正しくないこと」を絶え間なく空想させられ、あたかも「正しくないこと」が次々に現実化することによってのみ証明される「正しい」世界を受け入れねばならない気分になる。そういう馬鹿馬鹿しい理屈に伴う不快感は、そうたやすく拭えるものではない。
 こうした不快感は、正当な議論によるものではないどころか、ただの空想ゲームによる利益獲得競争の結果にすぎない。どちらの陣営がどれだけ都民に効果的に空想を押しつけ、嫌な思いをさせたかを競うゲームだ。
 このような、原告席が空っぽのまま裁判を強引に続けるような真似はやめるべきだろう。そんな姿を見せつけて市民を失望させるのではなく、行政は中立な執行者であり、あらゆる機関の一体的な協力を促す力を持っているし、エンターテインメント業界は万人のニーズとタブーに応えるという使命に誠意をもって全力で応える、という本来の態度に戻るほうがよっぽど健全だ。
 絶え間なく生まれては波打つタブーと付き合い続けているエンターテインメント業界、実際の教育の現場、教育の現場をもってしても守れなかった子供たちを保護し、治癒する団体や施設、子供の肉体面での安全を保証する医療機関、そういった専門的な人々がより多くの情報を共有し、より「安全で豊かで正しい」上に、「楽しく刺激的でどきどきわくわくする」社会を目指すことは、まったくもって可能なはずである。
 そしてその中心に、中立的立場の行政が位置することこそ最善なのではないだろうか。

3)タブーの行方
 なんであれ、タブーは移動する。ディテールへ辿り着く。そして波打つ。
 暴力描写がタブー視され、やがて効果音、血液、死体、死に顔、傷口……といったディテールへ辿り着き、「以前は血液とわかるもの全般がダメだったが、今は赤くなければ放映できる」「今は死体はOKだが、死に顔は映さないように」といった、非合理的な波打ち現象を起こす。血液に対するタブー視がどこかで高まれば、殴られる瞬間の人間の苦痛を訴える顔に対するタブー視はどんどん低まっていく。血が画面上に出ない代わりに、人間の苦痛の表情を描写する技術は大いに高まってゆく。ある登場人物が肉体的な打撃を受けたということを伝えたいがために、ビルどころか都市や地球すら木っ端微塵になったりするようになる。そして気づけばタブーが移動し、壊れるビルの種類や、木々が倒れるさまに、色々な制約が課されては解除されるようになる。映画『トランスフォーマー』では、撮影時に倒したのと同じ数の樹木を植えたということをアピールする必要に迫られたように。
 性的描写も長らく様々なタブー視が行われ、馬鹿馬鹿しいほどのディテールを生み出してきたし、これからもその波打ち現象は続くだろう。それは本質的には、過激な描写を売りにすることで客を集めるクリエーターや、特定の政治家が推進しようとする規制とは何の関係もない。とはいえタブーは衆目を集め、ひいては政治的・商業的に有用であるという事実は変わらないだろう。だが結局のところ、そこまでだ。ある作家や政治家にとって有用であったとしても、彼らの寿命も永遠には続かない。ニーズや政論の変化や、あるいは一人の人間の死によって、どれほど一世を風靡しようと、ニーズや政治的な有用性もまた波打つ。
 結局のところエンターテインメント業界におけるこの話題は、「人間はなぜタブーを持っているか? タブーは何の役に立っているか? タブーに代わるものはあるか?」この三点が疑問の余地もなく完全に解明され、誰もが社会生活を営む上で応用可能となるまで続くだろう。
 現在、我々が生活する上でどうやらタブーは避けられないことらしい。だがその理不尽さや非合理的なものの考え方に不快を感じる人々もいる。だからこそ何かをタブー視することそのものを、やがてタブーとするようになってゆくのである。しかもそれすらディテールに辿り着いては、波を打ち始める。「どうやらこのタブーについては議論がたやすいが、あのタブーについては今は黙っておこう」というように。
 もはや「どのタブーであるか」は問題ではないだろう。エンターテインメント業界における本当の問題は、我々は今回の議論で、どこまで波打ち現象を自覚することができたのか、ということだ。なぜなら、過去の事例を一つ一つ丁寧に振り返ってゆくとわかる通り、じきにこの波打ち現象は全体的に穏やかになり、別のディテールがタブーにされ、それ以前のことがらについては話題にのぼらなくなる可能性が高いからだ。「そういえば以前は子供の性的描写全般がタブーにされたこともあったが、今は馬鹿げた事件のせいで女性のヘソを見せることが異様にタブー視されてしまって厳しい、子供について取り沙汰されている頃にこの作品を出せれば何の苦労もなかったのに……」というように。
 タブーの波打ち現象は、今後とも続けるべきなのか、それとも、完全な法規制のもとで終止符を打ち、思考することすら必要のない状態を歓迎すべきなのか。
 あるいは、タブーを共有することによる社会的な利益を、もっと自覚することで、より意識的で自由なタブーの生成をはかるべきなのか。
 我々は社会を成り立たせてゆく上で、まだまだこうして未知を抱き続け、少しずつ前進してゆくしかないのである。だからこそ、より多くの有意義な議論が継続されることが、何より必要なのではないだろうか。



2010年12月5日日曜日

【年末進行】本日のお知らせ【地獄の蓋が開いた】


『天地明察』映画化決定!
 朝日新聞の広告欄にて角川書店より映画化決定が解禁。
 詳細なアナウンスにつきましては、角川書店や関係各社、ともに強烈な熱意をこめて準備中であります。どうぞ今しばらくお待ち下さいますようお願い申し上げます――と言いつつ、キャスト予想大会など早くも盛り上がっている関係者・書店様などとともに、作者も「元原作者」として、制作現場に対し粉骨砕身の協力を惜しみません。素晴らしい作品を御覧になっていただけるよう尽力する所存です。
 

『光國伝』連載開始!
 今月号・来月号の野性時代誌上にて、ようやくの連載開始となります。
 連載はいわば最初稿であり、出版時に行わねばならないであろう膨大な加筆修正を思うと気を失いそうです。正直なところ、ここまでハードルの高い題材であったかと茫然自失せぬだけで精一杯ですが、全力で蟷螂の斧を振りかざす覚悟でございます。


東京都「青少年の健全な育成に関する条例」改正案に反対します
 十分な議論が行われている限り、可否を公言する気はさらさらなかったのですが、このところ明言を求められることが多くなってきたため、下記に冲方丁の基本的な態度と、今後の議論への期待を掲載させていただきます。

 ○基本的な態度
1)現在、冲方丁が関与している全コンテンツは、これまでの業界の自主規制ならびに、今回の条例改正案に伴うポイントを参照する限りにおいては、制作陣はいささかも萎縮する必要はなく、これまで通りに掲載・上映・販売・頒布されることを確信しております。

2)今回の条例改正案の焦点は、「子供に見せるべきでないものを、子供に見せない・買わせないようにする」ということにあると理解しております。 理解のおおもとは下記です。
 ・改正案の質問と回答
 http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/04/20k4q500.htm
 ・改正案のポイント
 http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/pointo1.pdf
 ・条例
 http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/08_jyourei/08_p1.pdf


3)以上の回答のうち、主に『東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案のポイント』から幾つかの点を以下に引用します。
 ・「東京都が不健全図書として指定する」
 ・「指定された図書は『成人コーナー』への移動を販売者に義務づける」
 ・「区分陳列し、青少年に売らないだけで、漫画等を作ること、出版すること、大人(18歳以上)が読むことは一切規制しない」
 ・「単なる子供の裸や入浴シーンが該当する余地はありません」
 ・「単なるベッドシーンや、主人公が性的虐待を受けた体験の描写がストーリー上含まれるだけで対象とされることはありません」
 ・「「青少年への強姦や近親相姦などの性行為を、さも楽しいこと、普通のこととして描写するような悪質な漫画」については、性的判断能力が未熟な青少年が、そうした悪質な漫画を読んだ場合、そういった性行為への「誘い」に対し、抵抗感が薄れたり、真似をして自ら実践に移してしまう恐れがあるため、青少年への販売を制限しようとするもの」である。

4)上記に関し、特に反対する理由はありません。
 業界がこれまで努力してきた自主規制となんら変わりません。しかしこうした正しい理念が、現実と噛み合わず、行政指導が功を奏さない現場について、まだ十分な意見収集や議論が行われているとも思えません。
 よって、さらに現実的な議論が行われることを期待して、現行の条例改正には大いに反対するところです。

5)期待される議論は、主に下記の点です。


I)販売現場に考慮した、現実的な議論および都からの回答がありません。
 青少年に「見せない・売らない」」ことを目的とし、「成人コーナー」に区分陳列することについて、現場の書店や映画館その他店舗に対し、いかなる行政指導がなされるべきか、なされるべきでないかについて、議論そのものが十分になされておりません。
 特に『東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案のポイント』では、条例にもとづいた販売指導の在り方全般が不明です。単に棚などに『成人コーナー』と表示すれば足りるのか、それとも店舗によっては敷地面積上、到底不可能なほど視覚的に遮蔽されねばならないのか、あるいは入場そのものを規制しうる人的措置を講じねばならないのか。もしくはコンビニエンスストアやキヨスクなど、視覚的な遮蔽が難しい場合、客には手の届かない販売レジの後方などに商品を陳列し、購入者がタイトルを読み上げることで店員に購入を告げねばならなくなるのか、といった販売上の厳しい規制が伴うのかどうかがわかりません。
 もし『成人コーナー』そのものの視覚的な遮蔽、入場規制、閲覧の禁止といった義務が、過度に厳格な行政指導のもとで監視されることになった場合、店舗側が負担を嫌って商品の販売を忌避し、その結果、都の回答である「作ること、出版すること、大人が読むことは一切規制しない」ことにはならず、実質的には禁書措置に等しい効力を発揮するということが、まず危惧されるべき第一の点です。
 そして逆に、『成人コーナー』による利益に頼る店舗においては、規制による負担が義務づけられた場合、むしろ『成人コーナー』が拡大するという点が、議論されておりません。
 そうした店舗は、『成人コーナー』によって、むしろそれらとは異なる「本来売りたいけれどあまり売れない書籍」を売ることが、ようやく可能となっております。
 限られた敷地面積や人員を活用するしかない店舗の場合、『成人コーナー』の規制が厳格化されることで容易に想像されるのは、むしろ本来一般書籍が置かれているコーナーを撤廃してしまうことです。店舗を丸ごと『成人向け』とし、そもそも青少年が立ち入れないようにしてしまうことで利益を確保するといった、現実的な選択をせざるをえない店舗の出現がいっそう顕著になるでしょう。むしろ成人向け作品を忌避する店舗が増えれば増えるほど、成人向け店舗の価値も高まります。
 そうした成人向け店舗がますます増えることで、結局は成人向け商品が青少年の目に触れる機会を増やしてしまうということが、危惧されるべき第二の点です。
 よって何より現実的に考えねばならないのは、「販売現場の負担」です。
 また、この十年間、明らかに成人向け作品が急増するとともに、本来青少年を対象としている書籍群までもがむしろ成人向けジャンルを志向しつつある背景には、「表現の問題」とは異なる、そうせざるをえない出版界の経済的な苦衷と、コンテンツがもたらす(最も簡単な刺激である)性的興奮によって低調経済における生活苦を紛らわそうとする人々が急増しているという側面があります。
 そうした現実を無視した規制は、結果的にいっそう粗悪で短絡的な、すなわち「制作する上で時間も金もかからず、しかも高く売れる」成人向け作品の価値を高め、おびただしい蔓延を招くでしょう。のみならず成人向け作品に、「反骨的」だの「社会批判的」だのといった付加価値を与えてしまい、その社会的・金銭的価値を向上させてしまうことになるでしょう。
 そして厳しい店舗状況にあっては、むしろより歓迎すべき商品とされ、悪書を駆逐しようとするあまり、逆に良書を駆逐してしまうであろうことは、これまでの出版界の状況や、ポルノ作品の歴史を振り返れば、容易に想像できることです。
 よって、今後の議論においてはむしろ、「『成人コーナー』の正当かつ潤滑な販売の在り方」が求められるべきでしょう。「成人であれば、いつでも誰でもどこでも、どんな品物でも手に入る」ということを保証することでしか、粗悪な成人向け作品の価値をいたずらに高めず、その蔓延を抑止し、その社会的・金銭的価値を正当に維持または低下させ、ひいては青少年による入手を予防することは期待できないでしょう。
 出版界の実情、現代的ニーズ、販売所の限られた敷地面積や店員数、その他多くの負担を抱える販売現場の現実に考慮した議論を求めます。


II)上記に関連し、行政の規制によって、むしろ業界の自主規制が効果を発揮しえないような違法性を希少価値とする「アンダーグラウンド」な制作集団や流通経路の形成を助長する危険性について、議論そのものが十分になされておりません。
 特に、出版界の苦衷や店舗の現実的状況と、今回の規制内容が噛み合わない場合や、青少年自身が制作・頒布・販売に関与する場合、それらの形成は容易に想像されます。
 そうした違法性を「売り」とする諸般の形成に対し、「正当な理由」(報道発表資料2010年4月『東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案 質問回答集 10』)とは異なるということが「万人にも理解できる区別」にもとづいた、効果的な抑止はいかにして可能であるか、厳密な議論を求めます。
 

III)「青少年自身が、青少年にふさわしくないものを制作・頒布・販売すること」について、それらをいかにして正当な労働もしくは自己実現的行為として位置づけるか、あるいは禁止すべき不当な行為として位置づけるかが、これまでの議論においてきわめて不明です。「作ること、出版すること、大人が読むことは一切規制しない」としつつも、十八歳未満の少年少女が、大人が読むことを前提として、自ら制作する、もしくは自らを題材・被写体にする可能性について、ほとんど議論がなされておりません。
 特に、規制によって生じる保護者の安心感や忌避感、あるいは規制によってむしろ対象商品の金銭的価値が向上してしまうといった状況が混在することで、一方では保護者がより青少年に対し関心を払わなくなり、他方では青少年自身がより「金銭的価値がある自分たち」を自覚するといった、一時期「援助交際」などにおいて顕著となった危険性がまったく考慮されておりません。
 こうした、保護者が介在しなくなり、他ならぬ青少年自身を罰さねばならないような状況に関する議論の空白は、たやすく想定外の状況を招き、むしろ保護すべき青少年を、保護も罰則も届かぬ状況へ誘導する危険性があることについて、青少年自身の意見や実情も汲み取るといった、過去の反省を活かした、より年齢を問わない啓蒙的な議論を求めます。

2010年11月4日木曜日

※本日のニュース※

・11/6公開のアニメーション映画「マルドゥック・スクランブル 圧縮」の主題歌『アメイジング・グレイス』について記事が掲載されました。
http://tv.jp.msn.com/news/article.aspx?articleid=440045



※本日のお知らせ※
 いろいろすごいことになってきました(゜Д、゜)

「マルドゥック・スクランブル」公式アカウント開設記念キャンペーンのお知らせ

超レアなマルドゥック・グッズが当たる、ツイッター連動キャンペーン第一弾を実施いたします!
●キャンペーン期間
2010年11月4日(木) ~2010年11月17日(水) 23時59分まで

● 賞品
・冲方丁サイン入り劇場版アニメーションの複製原画 1名様
・「マルドゥック・スクランブル 圧縮」鑑賞ペアチケット 3組6名様

● 応募方法 詳細は右記公式サイトにて! http://m-scramble.jp/news/
・ぜひhttp://twitter.com/mardock_sc をフォローして下さい。



・イベント「OPEN-冲方」 開催決定のお知らせ

前売チケット、11/6(土)10:00よりローソンチケット【L:34160】にて発売開始!

日程:2010/11/20(土)
会場:阿佐ヶ谷ロフトA http://www.loft-prj.co.jp/lofta/

【出演】
冲方丁
冲方サミット参加の関係各社(者)のみなさま

【内容】
今もっとも多忙な作家、冲方丁。
執筆に篭る天岩戸を抉じ開けてファンの前に引っ張り出すイベント、
それが「OPEN-冲方」です。
第1回目のメインテーマは「シュピーゲルシリーズ」
天地明察の各賞受賞、マルドゥック・スクランブル劇場公開、蒼穹のファフナー映画化
など、数多いインタビュー記事の中でもいまだ語られていない
シュピーゲルシリーズにスポットライトをあてていきます。

OPEN18:00 / START19:00
前売¥2,500(飲食代別)/当日発売未定


2010年11月2日火曜日

※本日のお知らせ※

クリス智子さんのラジオ番組「CURIOUS PEOPLE」に
ゲスト出演させていただきました。
http://www.j-wave.co.jp/original/curious/people/
OA 11/8(MON) 12:50-13:00


J-WAVEさんはゲストが喋りやすいよう、とても配慮して下さるので、
トーク素人の自分としては本当に感謝です(゜Д、゜)

2010年11月1日月曜日

※本日の一言※

・二ヶ月にわたる第三次取材&〆切りタイフーンがようやく一時通過。
 台風一過の空に、『光國伝』とか色んなものが・・・。


・ツイッターのやり方を色々とアーガイル株式会社さんに教えてもらいつつ、もろもろ期間限定で委託を決めました。マルドゥック専用アカウントを始動する予定。
 みなさん、よく使いこなせるなあ・・・。

  冲方サミット・ツイッター中です
  http://twitter.com/#!/ubukata_summit
 


あのね、サインインは、大変なことじゃないからね
 アーガイル株式会社さん。とても優しい口調で。実際にツイッターを見せていただいた際、冲方が「わざわざサインインまでしていただけるんですか(゜Д、゜)」と発言したことに対して。


こんだけドロドロしたもの抱えてりゃ、そりゃ、むしろ本人はピュアに針が振れるだろ
 音響監督。『マルドゥック・スクランブル』と『蒼穹のファフナー』の脚本について。
 …そうだったのか(゜Д、゜)


この人が生まれて初めて書いた小説が『ポケットの中の戦争』の英訳って、本当?
 林原めぐみさん。キングレコードのプロデューサーに。上記作品に林原さんが出演されていたことに全く気づいていませんでした。ちょっとビックリの奇縁です(゜Д、゜)


糸(し)曰く『陽炎のおっぱいはどうせ頑丈だからもっといじめてもいいんです』
 スニーカー担当。…この人、酔っ払うとすぐこうなるなあ(゜Д、゜)

2010年10月25日月曜日

※本日のお知らせ※

ムック&特集です。

  本日発売

・『SFマガジン 12月号』 早川書房
http://207-171-187-20.amazon.com/S-F%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3-2010%E5%B9%B4-12%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B0046HMRP4
 表紙と裏面の両方が劇場版『マルドゥック・スクランブル』という前代未聞のカバーです。
 劇場版『マルドゥック・スクランブル』および劇場版『蒼穹のファフナー』特集。
 林原めぐみさん、工藤進監督との対談掲載。
 特集記事多数。感謝です。


・『冲方丁 公式読本』 洋泉社
 http://www.yosensha.co.jp/book/b73907.html
 著者が必見の全記録。これでもうどんなインタビューをされても困りません。
 過去十四年分の挑戦と反省。これでもう語り尽くした感があります。
 次の十年に向けて本格始動です。

2010年10月17日日曜日

※本日のお知らせ※

史上初、【早川書房&講談社、共同サイン会】
 11月13日(土)14時より。
 有隣堂ヨドバシAKIBA店にて、冲方丁&大今良時さん合同サイン会を開催します。
 詳細は下記よりご参照下さい。
http://www.yurindo.co.jp/storeguide/?preview_flag=1&flag_no=160&post_id=307#1246


 
『マルドゥック・スクランブル』劇場版公式サイトにてCM動画アップ中
http://m-scramble.jp/

2010年10月15日金曜日

※本日のお知らせ※

・NY上映後のインタビュー
http://www.toonzone.net/news/articles/35365/nyaf2010-mardock-scramble-the-first-compression-press-conference-with-author
 なかなかニュアンスが伝わらないのが普通ですが、かなりこちらの意を汲んで下さっていて、非常に嬉しいインタビュー記事でした。
 記者さんたちとアシストして下さったトランスレーターさんたちに感謝です。


『英訳マルドゥック・スクランブル』 北米にて2011年1月18日発売決定
 校正前の段階で、すでにとても丁寧な翻訳になっておりました。
 日本国内でも販売できるよう吹き込み中。
 

2010年10月13日水曜日

・本日帰国。
 ニューヨークにて『マルドゥック・スクランブル劇場版』ワールド・プレミア上映、ご盛況いただきました。

 緊張と疲労で胃をやられたか、帰りの機内で六時間ほどゲロ吐きっぱなしでした。どこまでも嘔吐縁のある作品です。オートマトン。嘔吐マトン。みたいな。お腹痛ああーい(゜Д、゜)



※本日のお知らせ※
・10/8 発売  漫画『オイレンシュピーゲル』第二巻
・10/8 発売  小説『マルドゥック・スクランブル 完全版』(文庫)全三巻
・10/15発売  漫画『マルドゥック・スクランブル』第三巻

・10/25発売  SFマガジン12月号にて特集されます
・10/25発売  洋泉社さんよりムック本が刊行されます

 

2010年10月6日水曜日

※本日の一言  原稿誤植バージョン※



 特集用のセリフ抜きだし記事にて。

 どこかが間違っています。





今は、士気凛然、勇気百倍だ」(リェロン『ストーム・ブリング・ワールド』)





銀行強盗のみなさん、アロー! 長生きしたい人は両手を上げてーっ、ハッピー♪」(藤堂『黒い季節』)





おお、炸裂よ!」(冬真『スプライトシュピーゲル』)





我々は故郷へ向かって、ただ歩いているだけだ!」(ベル『ばいばい、アース』)





 この間違え方、嫌いではない(゜Д、゜)



 最後の一つはあながち間違ってない(゜Д、゜)



 8時間後は成田空港だ。ニコレットと靴下がありません(゜Д、゜)



 ニコレット閣下に読めてきました(゜Д、゜)



 少しは寝よう(゜Д、゜)
※本日のいただきもの※


「天地明察おみくじ・しおり」が作られるとのこと。
最初は単に「しおり」でしたが、おみくじみたーい、と誰かが言ったので。
書店さん店頭にてそのうち見かけることになるそうです。
ほしーい。
※本日のお知らせ※

 短編二本脱稿なう、とか言ってみる(゜Д、゜)

・短編掲載
 1)冲方がデビュー作を書いていた頃のことを短編にせよ
   →洋泉社さんから刊行されるムック本に掲載。詳細はさらにお知らせします。
 2)『マルドゥック・アノニマス』の予告短編を書け。
   →SFマガジンに掲載。以前、六社七部門共同の小冊子に掲載されたものの三倍くらいの長さです。
 3)『マルドゥック・スクランブル』で、ウフコックとドクターが、シェルとバロットをターゲットとしたときの様子を短編にせよ。
   →ニュータイプの新ムックに掲載。偉い人たちがどうやらネット上で解禁したようです。
 4)『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』の隙間シーンを短編にせよ。
   →同上にてニュータイプの新ムックに掲載。
 

・明日からニューヨークで、『マルドゥック・スクランブル劇場版』ワールド・プレミア上映および
 いろいろとがんばってきます。

 まだ荷造りできてません(゜Д、゜)

2010年10月3日日曜日

【もう】本日のお知らせ【火だるまになるのは嫌】

・いい加減、『光圀伝』を始めたい。
 お知らせというより願望である。このたびめでたく総計300件目を超したイベントおよび取材および出演のため、全コンテンツの制作のスタートが再調整となっております。お楽しみ頂いていた方々には深くお詫び申し上げますとともに、全力全霊で進行しております。どうか今しばらくお待ちいただけますようお願い申し上げます。


・ツイッターに初参加しました
 冲方サミット ubukata_summit
 冲方サミットにおける六社七部門会議(現在、九社十一部門会議)にて、「みんなで、つぶやいてみるのはどうでしょう」ということで開始。冲方の人生初つぶやきです(゜Д、゜)


・11月20日に某所にて定期ゲリライベントをが開始されるそうです。
 詳細が決まり次第、ご報告いたします。
 初回は『シュピーゲル』オンリー・イベントになる予定です。


・短編を四本ほど準備中。
 ムック本やSFマガジンなどに寄稿する短編で、以下のオーダーが発生中。
 1)冲方がデビュー作を書いていた頃のことを短編にせよ。
 2)『マルドゥック・アノニマス』の予告短編を書け。
 3)『マルドゥック・スクランブル』で、ウフコックとドクターが、シェルとバロットをターゲットとしたときの様子を短編にせよ。
 4)『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』の隙間シーンを短編にせよ。
 
 それぞれ告知媒体が決まり次第、ご報告いたします。



※本日の一言※

歌・詩・論・史
 冲方丁。『光圀伝』の資料読み込みのためには、和歌の詠み方、漢詩の読み方、『論語』と『史記』を網羅していないと、意味がわからないということについて。特に『論語』を知らないと、水戸光國(光圀)の行動原理は理解不能。延々と漢文ばっかり読んでます。


唐辛子でリース作ったら
 スニーカー担当。冲方が耕作中の畑で、異様に陽炎が、もとい唐辛子(ペペロンチーノ)が豊作であり、とても消費できないことについて。唐辛子によるクリスマス飾りのリースは、魔除けでもあるらしい。


表紙とかあらすじとか入稿していいですか
 スニーカー担当。『テスタメントシュピーゲル2』について。お馬鹿キャラから一転、どSキャラ全開になりつつある担当である。


去年と似てる
 嫁。2009年は、『天地明察』と『テスタメントシュピーゲル』と『マルドゥック・スクランブル劇場版』の脚本と漫画原作スタート四本と、全て重なったことについて。そういえば、ついでに裁判が二つと税務調査がありましたね。
 現在、劇場公開で二本のプロモーションに、『光圀伝』と『テスタメントシュピーゲル2』と『マルドゥック・スクランブル劇場版』の第三部脚本と『マルドゥック・アノニマス』と漫画原作の新スタート準備が、見事に重なりました。
 企画がバタバタつぶれるのが日常茶飯事の世の中で、とてもありがたい限りです。
 こんなはずじゃなかったのに(゜Д、゜)、などと言ってられませんので頑張ります。

2010年10月1日金曜日

※本日のお知らせ※

 出演させていただきました(゜Д、゜)

・日本テレビ 「考えられない!?禁断ワールド~日本人の常識崩壊SP~」
 金曜スーパープライム 2010年10月1日 夜7:00からの2時間枠
【MC】田村淳(ロンドンブーツ1号2号) 高橋克典
【出演者】冲方丁、押切もえ、水道橋博士、斗鬼正一、南沢奈央、山崎弘也(アンタッチャブル)、渡部陽一(VTR出演)


・J-WAVE 「81.3 FM J-WAVE : Growing Reed」
 日曜 2010年11月14日 24時~25時
 http://www.j-wave.co.jp/original/growingreed/
 ナヴィゲーター 岡田准一



【いろいろ】本日のお知らせ【できました】
※発売中※

『マルドゥック・スクランブル改訂新版』ハードカバー・バージョン
¥1900 早川書房


※完成※
『マルドゥック・スクランブル劇場版サウンド・トラック』
¥3000 キングレコード 10月初頭発売


『1/1ウフコック・ペンティーノ』 劇場用ウェルカム・バージョン
お披露目開始



※本日の一言※

だって、俺たちだって何かやらなきゃ
 株式会社ジョウント社長。1/1ウフコックの商品化の発注前なのに、もうすでにどえらくクォリティの高い原型が出来上がっていることについて。今回の劇場化ではそういう人ばっかりで幸福です。
 画像だとわかりませんが、細いヒゲもちゃんと生えてます。蛍光と蓄光の塗料を配合することでアニメのウフコックの色味にできるかぎり近づけているとのこと。


こいつ、そういうの好きだからなあ
 早川書房社長。『マルドゥック・スクランブル』の生みの親である「塩」部長が、もう管理職なのに『マルドゥック・スクランブル』新装版の校正原稿を自分でチェックしたり、劇場版の現場で尽力して下さったり、嵐のようにツイッターでつぶやいていることについて。
 社長公認だ、と本気で感心しました。


単行本版と文庫版の何が違うのか
 プロデューサー。『マルドゥック・スクランブル』新装版について。大いにいろいろと違っておりますので、各コンセプトの違いを下に列挙してみました。


※『マルドゥック・スクランブル 改訂新版』単行本ハードカバー・バージョン
 ・普段SFやアニメに親しまない方にも楽しめるよう、また旧版を知らない方に向けての本作りを心がけました。
 ・一つ一つのシーンや描写を短くまとめることで文庫三冊分の物語を一冊でスムーズに味わえるよう工夫しました。
 ・物語のわかりやすさとスピード感を重視しました。
 ・単行本のページの大きさや行数・字数に合わせて、文章を整えるようにしました。
 ・旧版や新版の文庫三冊とは異なるシーン構成になっております。
 ・冒頭にウフコック視点による導入用の序文を用意しました。
 ・旧版や新版の文庫三冊よりも、安い値段で購入できるようにしました。


※『マルドゥック・スクランブル 完全版』文庫バージョン
 ・SFファンや、劇場アニメに興味のある方、また旧版を知っている方にも楽しめる本作りを心がけました。
 ・旧判では入れられなかったシーンや、伏線、畜産業者をふくむ各キャラクターの過去などを追加しました。
 ・物語のボリュームと密度を重視しました。
 ・文庫本のページの大きさや行数・字数に合わせて、文章を整えるようにしました。
 ・ボリューム調整のため、旧版や単行本とは異なるシーンの切りどころになっております。
 ・各巻の冒頭に、ウフコック視点による単文を挿入することで、『マルドゥック・ヴェロシティ』(既刊・前日譚)と、『マルドゥック・アノニマス』(執筆中・後日譚)とをつなぐイメージ作りを心がけました。
 ・新装版のための「あとがき」を用意しました。


※共通コンセプト
 ・作品を激変させてしまうことは極力、避けました。
 ・旧版では作者の力不足のため描ききれなかった、都市構造・各人物の動機・カジノシーンとアクションシーンをつなぐイメージといった点に力を注いで新たに書き直しております。


どちらも最初から打ち込みました
 冲方丁。既にある原稿データを修正するのではなく、それを見ながら白紙のページに一から書き込むことで二つの異なる新装版を作りました。

2010年9月15日水曜日

【さっきまで】※本日のおしらせ※【七月だったのに】


もう九月だなんて嘘だ(゜Д、゜)



「お知らせ」

・昨日発売の「週刊現代」さん(講談社)で取材していただきました。


・今週発売の「野性時代」さん(角川書店)で特集していただきました。


・10月臨時増刊号「ユリイカ」さん(青土社)で特集していただきました。


・10月号「新刊展望」さん(日本出版販売)で取材していただきました。


・10月号「本の旅人」さん(角川書店)で伊坂幸太郎さんと対談させていただきました。


・伊坂さんの『マリアビートル』紹介小冊子(角川書店)で対談させていただきました。


・「月刊ニュータイプ」さん(角川書店)にて、富野監督との対談連載中です。
 ハードルがどんどん高くなってますが頑張ります(゜Д、゜)



「9月予定」

・9月18日、三鷹天文台にて渡辺潤一先生のイベントに参加させていただきます。


・9月発売の『マルドゥック・スクランブル』新装改訂版ハードカバー・バージョン大詰めです。




「10月予定」

・10月発売の『マルドゥック・スクランブル』完全版・文庫バージョン大詰めです。


・10月売り号のSFマガジン(早川書房)にてマルドゥック関連の記事等が載る予定です。


・10月に開催されるNEWYORK COMICONにて劇場版『マルドゥック・スクランブル』のワールド・プレミア試写を行います。




「予定」


・ムック本を制作中です。公開可能になり次第、御報告いたします。


天野喜孝先生!と対談しました。(掲載媒体は公開可能になり次第、御報告いたします)




「ヒキコモリ状況」


・全スケジュールが八ヶ月遅れになったことから「ヒキコモリ体勢・第1弾」に突入中。
最近、嫁と子供と早川書房の「塩」部長と近所のコンビニの人としか会話してません。

『光國伝』『マルドゥック・アノニマス』『テスタメントシュピーゲル』他、鋭意準備&執筆中



※本日のいただきもの※




 十四年ぶりに天野喜孝先生にご挨拶させていただきました。


 天野先生は、僕がデビューしたときの審査委員であり、長年の憧憬の対象であり、処女作のカバーを描いていただいた方です。


 ようやく御礼を申し上げることができました。


 感無量です。


頑張ってさ、そのままノーベル賞とか目指して欲しいんだよね
 天野喜孝先生。「どのまま」行くと目指せるのか全然わかりませんが、その一言だけで、ごはん一生分食えます。憧れていたときのままのダイナミックさを今なお増大中の方でした。どうしたら追いつけるんだろう、どうしたらその領域に立てるんだろう。かつて遠く眺めていた山は、ますます高く、途方もない場所にそびえたっていました。




2010年7月26日月曜日

※本日のお知らせ※

7月15日に行われた「大・待ち会」について記事を掲載して下さいました。

http://mantan-web.jp/2010/07/25/20100724dog00m200033000c.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100725-00000001-mantan-ent


当ブログでも「大・待ち会」レポートを用意する予定でしたが、翌日からマルドゥック・スクランブル劇場版の制作・プロモーション大詰め展開にそのまま移行。得体の知れない偏頭痛が勃発。全く余裕がありませんでしたすいません。ほとぼりがさめた頃にご参加下さった方々による素敵な発言を一挙掲載予定(゜Д、゜)

 超素敵な「リベンジ」色紙を描いて下さった二階堂ヒカルさん、ありがとうございます。
 会にて超素敵な「冲方刀」(リアル日本刀)を差し入れして下さったウルトラ・ジャンプ編集部さん、ありがとうございます。落選後の切腹介錯写真、撮りたかったです。
 二次会のカラオケにまで参加して下さったangela、超感謝です。最高でした。
 「もう一回!」ハニーケーキを差し入れして下さったキングレコードのOさん、ありがとうございました。あの日一番の美味でした。
 「馬鹿野郎、お前はシュピーゲルで直木賞を取るんだ」と二十回くらい叫んだ下さった画報社のFさん、とうていムチャですが気合い入りました。ありがとうございます。
 いらっしゃって下さった全ての方々へ感謝いたします。
 とことん頑張ります。

2010年7月10日土曜日

※本日のお知らせと一言※

○別所哲也さんがパーソナリティのJ-Waveの番組に出演させていただきました。
http://www.j-wave.co.jp/original/tmr/index.htm
とてもフレンドリーなトークで迎えて下さる方でした。やたら緊張しましたが、とっても楽しかったです。



成り行き
 夢枕獏先生。対談の際、超長期連載をどうしたらこなせるのかという冲方の質問に対して。お話しているだけでしんどい仕事が楽しく思えてくるパーソナリティーとメンタリティーに心底から脱帽しました。すごいなあ。最初の1行を書いてから三十年を経ても同じシリーズを興奮して書ける。もう本当にすごいなあ。良いなあ。うらやましいなあ。僕も頑張ろう。もっとめちゃくちゃに頑張ろう。


君の作品は、棚から棚が遠いんだよね
 角川歴彦会長。取材の合間にご挨拶させていただいた際に。後日それを聞いた担当が「冲方八景」の地図を作ろうと提案したところ、棚から棚どころか、店すら違う場合があるため挫折。結論として「別にいいじゃん」で終わってしまった。


俺は女子だから返答しかねる
 角川局次長。とある編集が「男心」について訪ねた際の一言。


編集長が逮捕されましたが業務に支障がないよう努めておりますのでご心配なさらないで下さい
 某編集。びっくりするのはジェネレーションの差でしょうか。一昔前はよくあることだったとしばしば聞きます。作家同士のぶん殴り合いや、「油断すると、たけしが来る」など。詳細はわかりませんが相互和解に至れることをお祈りいたします。


「(自分が入る)墓掘ってるみたい
 嫁。冲方が気分転換に畑を作り始めたことについて。あまりに言い得て妙なので反論できなかった。

2010年7月9日金曜日

※本日の一言とお知らせ※

*本日のお知らせ
 福島市でお世話になっている書店さん訪問をさせていただきました。
 朝から夕方までかけて六店舗。一筆入魂でサイン本を書かせていただきました。
 楽しかったです。
 詳しくはまたレポートさせていただきます。



*本日の一言

緊張の余り席を立って逃げ出したくなるのをこらえ、からからに渇いた喉で生唾を呑み、語らねばならぬと誓ったことを全身全霊で語る
 編集。とある直木賞選考委員の先生の、選考時の様子についてこっそり教えて下さった一言。とてつもない業績を成し遂げてきた先生方ですら、それほどのプレッシャーの中で選考するのだという。どんなに辛くても逃げられない。逃げれば小説から逃げることになる。自分が生きると誓ったものに背を向けることになる。だから逃げない。これほどの「本気」を振り絞っての選評をいただける。なんという光栄か。ノミネートを受けた作家たちは全員辛い。言葉に出せないほど辛い。一面識もないのにノミネートされた他の方々に同胞意識さえいだくほどだ。
 しかし賞を背負った選考委員の先生方の方がもっと辛い。そのことをノミネートされて初めて知った。小説に人生をかけることへのかつてない尊敬を覚えた。それこそ若輩者が心から求めるべき財産である。
 個人的なことを言えば、とにかく受賞したい(自分をごまかしたって始まらない)。
 でもそれ以上に、選考委員の先生方のようになりたい。一生かけて追いつきたい。そう思わせて下さることが、どれほど救いになることか。
 頑張ることに、こんなにも意味がある。
 なんとうい幸福か。
 


基本、お笑い系のはずじゃないですか
 ライター。冲方のブログについて。なんだか真面目なことばかり書いていないで、もっと世の中を明るくすることに努めて欲しいという一言。・・・がんばります(゜Д、゜)



渋川ハルヒの改暦
 ライター。「ユリイカ」のインタビューにて。「どうしたら『天地明察』をライトノベルにできるか」という件で。「僕に書かせて下さい」とライターさん。良いけど・・・許可とってネー(゜Д、゜)



作家も主人公も、好色系男子ですから
 局アナHさん。書店訪問の際のインタビューで。『天地明察』について、作家も主人公も「草食系男子」と言いたかったらしい。シティハンター?(゜Д、゜)



直木賞ノミネートなんて全然知らなかったことを言わないでくれとスニーカー担当の方から言われましたので黙っててあげてください
 早川書房・塩・部長。色んな意味で優しくない優しさがにじみでる一言である。たっぷりネタにしてあげるのが優しさだと思いました。

2010年7月6日火曜日

※本日のお知らせ※

『天地明察』が第143回直木賞にノミネートされました。

 まったく予想外でありました。
 そしてその分、多くの方々が予想を聞かせて下さいます。
 いわく「初ノミネートで受賞はまずない」、いわく「意外にいけるときはいける」、いわく「既に本屋大賞と吉川英治文学新人賞を受賞した作品に直木賞はない」、いわく「受賞歴は関係なく作家の素質だけが問われる」、いわく――

 その全てが現時点では正しいのでしょう。どう考えても結論が出ない今は。
 冲方にとってはノミネートという成果が現実です。それはまぎれもなく、これまで多くのご指導ご鞭撻、叱咤激励、ムチャ振りの数々を与えて下さった、家族、友人、出版社の人々、プロデューサーたち、現場のクリエーター、先生方、書店員さん、出会うことができた全ての人々のお陰です。
 そして何より、あの作品やこの作品を応援して下さった、読者のみなさんがいて下さったからこそです。
 結局、どんなときにも耐える力をもたらしてくれていたのは、自分の精神力などではなかったんだなと思い知ります。

 ありがとうございます。
 みなさんのお陰で、ここまで来ることができました。
 これからも頑張ります。
 とことん頑張ります。

2010年6月29日火曜日

※本日の一言※


 先日たまったネタをいっぺんに出すあまりぐだぐだしい記事を書いたので書き直そうと思うのだがどうだろうと君に聞いている、まあいいか別に、というその意見を採用する。ところでケンブリッジ大学が研究したネタによると人間はぐだぐだな文章でもけっこう読めちゃうらしいよ、という自慢げな話を聞かされた。こなふんう に ごゃちちごゃ の ぶしょんう でも わくしたたちの ぶょんしう は よちめゃう 「イナオズン!」 とか じもゅん を とえなたり 「キサャリン!」 とか ひとの なえまを よだんり しても けこっう よめる ほんうとだ すいごね これ とういこと らしいですよ。



良い意味でセクハラなんだよ
 キングレコード。「良い意味で」を付けるだけでちょっと違った印象が生まれるんですよねー、という一言。ほとんうに そうかは わらかない けどね。


良い意味でお前が嫌いなんだよ
 キングレコード。「良い意味で」をつけると途端に表現が軟らかくなりますね。これならシャイなサラリーマンも会議で鋭い意見が言えること間違いなしです。


良い意味でお前の存在がムダなんだよ
 キングレコード。会議での一言もこうすれば軟らかくなりますね。


わたしたちロトの勇者です
 角川ニュータイプ。合コンで「職業は?」と訊かれて答えたという一言。日々、六億円が当たることを夢見るLOTOのOLである。


経費で恋人(『ラブ+』)を落としやがった
 ニュータイプ&スニーカー。


部長会議で(『ラブ+』を)プレイしてみせやがった
 ニュータイプ&スニーカー。


そんな会社は来年から新卒殺到だ
 ニュータイプ&スニーカー。


なんで?
 色々な人。ただでさえギリギリを通り越したスケジュールなのに、なぜ今さら『マルドゥック・スクランブル』の新装改訂版をやるのか、ということについて。
 身辺でマジレスする方が異様に多いのでこちらもマジレスさせていただく。理由は以下。この作品だけは避けてはいけないことだからである。この作品を通して本当に多くの方々が当時の小説家・冲方丁を作って下さったし、その全てが今の冲方丁を作って下さった。なのに改稿不能なほど年月が経ってしまったわけでもないくせに、文芸賞をいただいた、急激に忙しくなった、スケジュールが大変なことになっている、などといって、安易に劇場版合わせの新装版で十年前の文章を過去最大部数で出し、作家本人は何一つしないなど、業界や現場の最前線で戦ってる人たちに対してどれだけ失礼か、あぐらをかくためにメディアミックスの現場に飛び込んだのか、SF大賞に対する感謝の念、当時の読者によって成長させてもらった感謝の念は、作品でしか返せないということを身をもって示さないで、あの受賞作家さんですなどと若手の前で偉そうに立てるか、『テスタメント』『光圀』『マルドゥック最終章』全てきっちり書く、水面下で進行している企画も手を抜かない、それら全て「今が旬だ売り時だ」という意見も理解している、だがその前に最もやらねばならないことをやる、それだけである。
【水戸取材に】※本日の一言とお知らせ※ 【行ってきました】


「水戸光圀取材」に行って参りました二泊三日強行軍。
角川・野性時代誌上にて記事になる予定です。



トルネード・ウィーク四連発
 誰か。メモに残されていた一言。ウィーク四連発は普通にマンスリー。今年一月に決まっていたはずの各社スケジュールが受賞トルネードにより粉々すぎて誰も元に戻せないハンプティなダンプ体サミットにて普通は決して通らぬ企画がザル化しプリン体のごとく蓄積される「間に合わないよねこれ」的な進行の痛みにみんな気づいてるけど黙って風が吹けば桶屋が飛ぶ空へ。いかん疲れている。




グラヴィティ、リアリティ、ロイヤリティ
 冲方か担当か誰か。わずか三日間で、富野監督、養老先生、徳川家十五代当主夫人と、普通はお会いできない方々に、立て続けに謁見したことについて。若輩者の精神力は急ピッチで荒行すぎるでござる。





砂もらっちゃった
 嫁。井上雄彦先生の『最後の漫画展』IN仙台で展示されていた砂の一部。恐れ多いことを普通にやってくれる嫁もはや家宝。しかも子連れで井上先生がいる楽屋に乱入。やわらかい空気に包まれた時間を過ごさせていただきました。すごいなあ。あんな人になりたいなあウィング。



気分転換に、うちのウィンドウズを透明にしてみた
 冲方丁。消耗はなはだしく「五分で気分転換」の巻。いい加減な手作業ゆえ、かなりずれたでござるウィング。


180件
 角川営業。今年に入ってからの冲方の取材仕事件数。一生分を終えた気分です。今後は晴れ間が広がり執筆最優先になるでしょうウィング。


本当に死ぬほど忙しい人は、手帳に予定を書き込むヒマもなくなる
 K氏。シュピーゲル・フィギュア等を根気強く進めて下さっている方の言。本当にそうなるとは思いませんでした。そろそろレッドゾーン突入。





資料を整理した
 冲方丁。おおむね「水戸光國」資料。あまりに多すぎるので選別してもまだこの量。これでも肝心なところは想像するしかないようです。




名探偵だと?
 編集。「徳川実記」(徳川家の記録)を取り寄せたところ、最初の一冊の包み紙が『名探偵コナン28巻』だったことについて。二冊目は『スーパーマリオくん』でした。




和本ゲット。虫食い防止のためのナフタリンのにおいが強烈です。




気分転換パート2。
嘘座右の銘をやってみた。





















2010年6月23日水曜日

※本日の一言※

 またスニーカー担当がおバカなネタを送ってきました。
 http://usokomaker.com/zayu/





これは『テスタメントシュピーゲル』のことに違いないと思って送らせていただきました
 スニーカー担当。あなたの引きの強さに驚きます。ピンポイントに編集の鑑である。


面白いので色々試してみた。








・・・ 間違ってねえ(゜Д、゜)
 




2010年6月22日火曜日

【税金税金税金】 なんかつかれた 【いいよ全部もってけよ】

※本日のお知らせ※

『マルドゥック・スクランブル』小説 新装版の企画が実行へ。

 六社七部門会議(冲方サミット)にて、うっかり口を滑らせてしまった。

冲方 「マルドゥック・スクランブルの劇場公開合わせで小説も全面改稿の新装版とかwwwww」


早川書房・塩・部長 「それです!」


冲方「・・・(゜Д、゜)


 

2010年6月21日月曜日

【本日のお知らせ】

・『神話の力』(早川書房、ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ)、文庫版の解説を書かせていただきました。
 かれこれ十四年もの間、読み続けている本です。感慨深い一方で、まだまだ届かないなあ、歩き続けねばいけないなあと実感。頑張ろう(゜Д、゜)


・『デーモン聖典』(白泉社、樹なつみ)、文庫版の解説を書かせていただきました。
 まだ発売は先のようですが、『花とゆめ』『LaLa』を夢中で呼んでいた頃を思い出しながら書きました。あの頃の感覚はなくしたくないものです。



【遅くなりました】 書店訪問第三弾 京都編 【夏が辛い】
 お邪魔させていただきました京都の書店様。
・三省堂書店 京都駅店
・ふたば書房 京都タワー店
・大垣書店 営業本部
・大垣書店 四条店
・大垣書店 イオンモールハナ店
・ブックファースト 京都店



・三省堂書店 京都駅店
「本屋大賞一位で入れます公約ポップ」を目にして改めて感謝・感動です。

最嬌ガールズ
 営業。夜になって到着した冲方ら、閉店後も待って下さっていた書店員様たち、いずれも寝不足超ハイテンションでありました。沢山のサイン本を書かせていただきました。


西(の『天地明察』実売上昇)は、ここから始まった
 担当。感慨深げに、閉店後の店内に立って。



・ふたば書房 京都タワー店
 京都駅を出てすぐの観光名所。
会社面接か対談か
 担当。社長と向かい合う冲方を見て。書店の経営について大いに伺えました。そこまでお話してもらっていいのだろうかというくらい勉強になりました。
妻子あります
 社長。記念写真の際に。「この結婚指輪を乗り越えてこい」と世の女性たちにアピールして。
ちょいじゃない悪オヤジだ
 担当。社長の言動にやたらと感動して。一筋縄ではいかない京都の商売を実感。
みやげもの大賞だ
 営業。店内で販売している竹しおりに感動して。竹材の余剰分を活かすということで、社長が業者と一緒に企画したとのこと。クォリティと見る角度が違います。

・大垣書店 営業本部
 ほぼ全店での『天地明察』展開の中核を担って下さいました。
これが「はんなり」か!
 担当。店構えや書店の方を表現する一言に感動して。
大垣書店とのコラボ・サイン!
 担当。「冲方丁」の「方」の字を、大垣書店のマークに似せたことに感動して。
なぜみんな右へ傾く
 担当。記念写真の際、なぜか冲方をふくめみなさんマイケルなみに傾くことについて。


・大垣書店 四条店
 もはや伝説と化した「豆電球・北斗七星ポップ」が置かれています。
 制作した北住さん(『天地明察』初版オビのフレーズ考案者)は現在イオンモールハナ店の店長に。
神棚みたいになってる
 担当。『天地明察』コーナーを前にして。職人技のクラフトワークが感動です。


レジの『アバター』エリアに『天地明察』の映像告知が
 担当。レジにも進出していることに驚いて。飛び出しはしません。

・大垣書店 イオンモールハナ店
 『天地明察』の初版オビのコピーをはじめ、光る北斗七星ポップ、自作の絵馬ストラップなど、数多の「明察グッズ」を生み出してきた店長さんが今日もクラフト魂を燃やすお店です。


『マルドゥック・スクランブル』にサインを
 店長。サインの指定位置が、「三冊合体すると分かる場所」という『ドラゴンボール』方式。この発想が普通はまずないです。

クロスカウンター的な記念写真を
 店長。まんまである。この発想は普通まずないです。
あの(ニュータイプで連載していたコラムで書いた)大工の人たちは捕まったんですか?
 書店員。店長から「聞きたいことがあるなら今の内だ」と許可されて。そこを訊くところが普通まずないです。ちなみに建設業の許可がないのに冲方の自宅を建てようとしていた人たちのことです。ほとんど忘れていましたが検察取り扱い中だそうです。最近、同様の事件がとても多いらしいです。
普通に握手したりみんなの集合写真とかとりましょうよ
 担当。あまりのクロスカウンター的な斬新さに。デパートのお客さんたちが何事かと見てました。

・ブックファースト 京都駅店
 棚丸ごと冲方作品。本屋大賞から一ヶ月以上ののちもこれほどのスペースを用いて下さっていることに驚喜、「食わず嫌いはダメ」ポップに感動。
なんか昇天する人みたい
 担当。記念写真の際、なぜか真ん中にいる冲方に光が差し込むことについて。


商売のふたば、発想の大垣、さわやかブックファースト
 担当。三店のそれぞれの特徴を歌っているようだが、実際は担当お気に入りの男性店長を列挙して。


・おまけ (上)三省堂書店 京都駅店の「最嬌ガールズ」とともにハイテンション落書き。(下)京都に赴く前に大いに煙草を吸っておく冲方・営業の勇士たち。
著者新境地
 三省堂書店・京都駅店。ハイテンション落書きについて。もとは「可愛いサインの考案」のはずだったが、カオスになってしまいました。

喫煙天国、大阪」「己に優しく、地球に厳しく
 営業の勇士たち。大阪の喫煙スポットにて堂々と煙を発生せながら。
限りなくブルーに近いレッド
 営業の勇士たち。大阪の人々が、本当に驚くほど赤信号を堂々と渡っていくことについて。京都に入った途端、規律正しく信号に合わせて渡る歩行者との差にびっくり。



2010年6月12日土曜日

【早くも】本日の一言 書店参り第2弾 神戸&大阪編【夏バテモード中】


 書店参り第2弾、まずは神戸と大阪編からのお送りです。
 出版以前の超最初期から『天地明察』を応援して下さっていた書店様に突撃御礼参り。


 お邪魔した書店様。
【神戸】
・ジュンク堂書店 三宮駅前店様
・紀伊國屋書店 神戸店様
【大阪】
・ブックファースト 阪急西宮ガーデンズ店様
・ブックファースト 阪急西宮駅内店様
・キャップ書店 逆瀬川店様
・紀伊國屋書店 梅田本店様
・ブックファースト梅田店様
・旭屋書店 堂島地下店様
・ジュンク堂書店大阪本店様


 京都をふくめ全店合計で1000冊ほどサイン本を書かせていただきました。さすが関西。大盤振る舞いすぎて嬉しいです。




(上)ジュンク堂書店三宮駅前店様にて。
(下)紀伊國屋書店神戸店様にて。




巻き好きなんです
 三宮駅前店のIさん。嬉々として新バージョンの帯を本に巻きつつ。




これでニスイ(冲)って覚えてもらえますねー
 三宮駅前店のIさん。○冲、×沖なのだが、一時、『ダ・ヴィンチ』さんのうっかり誤植をはじめ、「沖方丁」さん出現後にお詫びが続いたことについて。関西弁でおっしゃられると、とても良いことのような印象を受けるから不思議です。




じゃ、クリントンの隣に
 紀伊國屋書店神戸店様。訪問の際の記念写真を貼る位置について。





ブックファースト阪急西宮ガーデンズ店様にて。


袋詰めサイン本だ
 角川書籍担当。サイン本を一冊ずつビニールでくるんでゆく丁寧さに感動して。この手間には恐れ入ります。


前代未聞の二枚貼り
 角川書籍担当。特大ポスターを縦に二枚も貼っていただいたことについて。


店長が走る
 角川書籍担当。これぞ関西流、フットワークの軽さに驚いて。
(上)ブックファースト 阪急西宮駅内店様。
(下)キャップ書店逆瀬川店様。


通りすがりのリーダー
 角川営業担当。実は西宮駅内店様への訪問は予定されいなかったが、たまたまお店のリーダーの方と駅内で遭遇。好機ゆえのゲリラ・サイン本作りを決行。カウンター脇でお邪魔して書かせていただいたりしました。


イリュージョン・ポップ!?
 角川書籍担当。キャップ書店逆瀬川店様にて。ポップと本が咄嗟に宙に浮いているように見えたことから。本当に近づくまでどういう仕掛けか分かりませんでした。


やっぱ、バレるわな
 店長。棚に並べられた冲方作品の、とある帯について。よくよく見ないと気づきませんでした。この発想は関西ならではとしか言いようがありません。


漢(おとこ)握手だ、 泣きそうだ
 角川書籍担当。握手を交わす冲方とキャップ書店陣営に。『天地明察』の刊行最初期には、本当にお世話になりました。ありがとうございました。



紀伊國屋書店梅田本店様。
ぜひ館内放送の収録を
 梅田本店様リーダー。館内放送で、作家自身の声による著作紹介を行うというアイディアに、思わずうなりました。すごいです。
ほんまに著者の方がサインしてますという証拠ビデオを流します
 梅田本店様リーダー。本当にカメラがセッティングされていました。
「おい、段ボールや
 梅田本店様リーダー。一店舗ごとのサイン冊数の記録は100冊でした、と書籍担当が口にした際に。本当に段ボールに入った『天地明察』の山が続々と運び込まれました。概算でも軽く100冊を超えたと思います。
以下、梅田本店様の愉快な一言集。いったい誰がどの一言かメモでは不明でした。
あかん、そろそろ店長に怒られる
大丈夫や、だんだん謝るの上手くなってきたから
あたしが全部、誰かのせいにしときますから
だからお前、彼氏おらんのや
今の(発言)録画されてます
女子店員を本気でどつきますかこの人
ノーカウントや
なんか(他店に)負けてる気がしてきたわ
うちは勇気百々(どど)倍って書いてもろたら・・



上記の掛け合いの結果である。(嘘)

なんか呼んでますわ
 営業担当。上記の梅田店様へ向かう途上、列車の窓ガラスが(外から何かぶつかったらしい)突然、砕け散ったことについて、見えない何かが来てると主張して。



(引き続き)紀伊國屋書店梅田本店様。
応接室の壁にある「笑顔のポイント」ホワイトボード。咄嗟にこんなポイントが出ました。

(引き続き)紀伊國屋書店梅田本店様。
(上)店内美化ポスター。
(下)麦茶とおしぼりという心遣い。
これがうちのノリです
 梅田本店様リーダー。ぜひこの先も失われないことを切に願います。笑いすぎてお腹痛かったです。


ブックファースト梅田店様。


エンターテイメントについて、どのようにお考えですか
 ブックファースト梅田店様。真っ向勝負のストレートなお尋ねに、やたらと気合いが入りました。娯楽に対する本気度合いがとてもすごかったです。



(上+右下) ジュンク堂大阪本店様。
(左下)旭屋書店堂島地下店様。
クラフト感がただならない
 角川書籍担当。ポップのための和紙の貼り具合について。

いつもしんどいしんどい言うてますやん
 ジュンク堂大阪本店様。格闘技ファンにして小説も書かれる最強書店員に対し、嬉々としたツッコミの一言


柱、征服完了ですわ
 営業担当。旭屋書店堂島地下店様の店内の柱面にポスターが貼られたことについて。一つ一つが本気でありコンクエストである。


 どのお店も個性が溢れかえりまくりでした。
 ・・・楽しかった(゜Д、゜)

 次回は京都編をお送りします。
 

2010年5月30日日曜日

※本日の一言とお知らせ 書店さん御礼参り第1弾

○5月26日 LOVE書店さんとユーキャンさんにてレポート取材に行きました。
 LOVE書店さんでは「書店員さんたちとホットケーキを焼く」ことに。「可能な限り作家と関係ないネタ」で勝負とのこと。
 ユーキャンさんではシルバーアクセサリーに挑戦。嫁の誕生日に間に合って良かったです。
 どちらも記事として発表されます。


ホットケーキがこんなにも遠い
 スタッフ。LOVE書店さんのイベント「ホットケーキ」。失敗など想定外であったが、六枚焼いて出来上がったものは「限りなくホットケーキに近づいた、生焼けである何か」であった。なおLOVE書店さんによるイベントは過去にも「伊坂さんとサンマを焼く」「湊さんと金魚をすくう」などがあるが、いずれも失敗。ゆいいつの成功例は「佐藤さんと地引き網」だけだったという。


キャベジン!!(゜Д、゜)
 冲方丁。ホットケーキであるはずの何かを食してのち移動中に激しい胃もたれと胸焼けに襲われて。担当さんが買いに飛んでいってくれました。





赤い犬に見守られてのシルバーアクセサリー作り。前年度の受賞者である湊さんと同じコースを選択。楽しいひとときでしたが、胃が・・(゜Д、゜)



ユーキャンさんの赤い犬。手足が可動ゆえ、様々なポーズが可能。



関東・南十字遠征
 角川書籍担当。5月27日と28日に行われた書店さん御礼参り第1弾。1日目に関東南部を横断、2日目に縦断、さながら十字を描くがごとき軌道である。『天地明察』を最初期から応援して下さった方々に御礼を申し上げるための移動距離「よく分かりません㎞」におよぶ有意義な旅でありました。

 全てのお店にてサイン本を販売。サイン入り販促ポスターがあります。どうぞ足をお運び下さい。

○訪問させていただいた書店様たち
・船橋 ときわ書房 本店様
・東京 丸善丸の内 本店様
・有楽町 三省堂書店 有楽町店様
・恵比寿 有隣堂 アトレ恵比寿店様
・新宿 紀伊國屋書店新宿本店様
・新宿 紀伊國屋書店新宿南店様
・成城学園前 三省堂書店 成城店様
・相模原 啓文堂書店 小田急相模原店様
・北千住 紀伊國屋書店 北千住マルイ店様
・池袋 ジュンク堂書店 池袋本店様
・池袋 旭屋書店 池袋店様
・池袋 リブロ 池袋店様
・早稲田 早稲田大学生協コーププラザブックセンター様
・三鷹 啓文堂書店 三鷹店様
・東所沢 ワイシーシー JR東所沢駅前店(ツタヤ)様


(左上)旭屋池袋店Iさんと。ずらりと並んだ『天地明察』の上にマルドゥック・シリーズや『ストーム・ブリング・ワールド』まで展開。すごいことになってます。
(右上)ワイシーシー(ツタヤ)東所沢駅前店Nさんと。
(右下)ワイシーシー(ツタヤ)東所沢駅前店Oさんと。
(左下)ワイシーシー(ツタヤ)東所沢駅前店の書店入り口ド真ん前の展開。本屋大賞の発表から一ヶ月以上も経っているのに贅沢な店内展開です。カウンターの上にも並んでおりました。すごい。



三省堂書店・成城店のU店長さんと。店長にして「POP王」と呼ばれるポップ作りの達人。まさかお店の入り口で立って待っていて下さるとは思わず、その任侠ぶりに感激。
(左上)U店長が用意した和風円形色紙。
(中央左)同じく掛け軸形の色紙。いったいどこで見つけるんでしょう。
(下左右)ポップと店内一等地における、作者がびびるほどの大展開。もうすごいです。


読み終わってからポップを作るまでが読書
 POP王こと三省堂書店・成城店店長。もはやライフワークなみである。全ての棚を飾るポップの風林火山はそれだけで見応えがあります。




啓文堂・三鷹店のIさんと手描きイラスト・ポップ群と店内展開。なんと全て模写。


ぜひ二階堂(ヒカル)くんのアシスタントに
 角川書籍担当。Iさんの手描きポップを見て。寺田画バロットを模写する時点で脱帽。書籍の人間のくせに書店員をコミック(『オイレンシュピーゲル』の二階堂ヒカルさんのもと)へ送り込みたがる担当である。


ホットケーキにたどり着けなかった
 Iさん。LOVE書店さんの企画「ホットケーキ作り」に参加しての一言。大いにホットケーキに近づくべく尽力して下さったが、どう考えても最初の材料の配合が間違っていたことから、なすすべなしであった。




(上左右)新宿・紀伊国屋南店におけるエスカレータの壁面にてKさんと。レッドカーペットなみのポスター貼りに喫驚である。Kさんによる「作家のお薦め棚」などの企画棚がすごく面白いです。冲方も参加させていただく予定です。
(中央左右)啓文堂・小田急相模原店の店頭展開にてYさんと。なんと算額絵馬ポップの制作者でもあります。これまた気合いの入ったポップと展開で、お隣は『もしドラ』と『ニーチェ』。すごーい。
(下左右)紀伊国屋・北千住マルイ店の複数棚の展開にてHさんと。最初期にお贈りさせていただいた色紙を今も展示して下さっていて感激。『天地明察』の真下に『マルドゥック・ヴェロシティ』をポップ付きで展開。勇者だ。




早稲田大学生協にて「凱旋訪問」。まさかこのお店のセンター棚で展開していただける日が来るとは。
(右下)棚の担当のAさんと。素晴らしいディスプレイぶりに、ひたすら感謝です。


あっ、中退者への気遣いが
 角川書籍担当。ポップの「元早大生」という表現にやたらと反応して。


熱意は人肌でしか伝達できない
 角川営業。作家や編集者などの出版の現場の熱意、営業の現場の熱意、書店員さんの売り場の熱意。いわば熱意のリレーは、そこにいる人間の個性と情熱によってのみ成り立つという一言。あらためて、「お客さんの顔を見ている現場」の強さとありがたさを実感。


さすがに正気の沙汰じゃない
 角川営業。書店訪問の件数は平均だが、移動距離が前代未聞であることについて。そう言いつつ最後まで最も意気軒昂な方でした。


i-podしかないばかりに
 角川書籍担当。今回、全ての書店さんの様子を撮影できなかったばかりか、画像の手ブレ感が満載であることについて。
 よって画像の代わりに下記にご挨拶させていただいた方々の一言を列挙させていただきます。


手作りの事務所で、日々、企んでます
 ときわ書房・本店のUさん。なんと書店のビルの屋上に手作りの階層を設置し、事務所を兼ねた応接室を制作。「書店の基本は手作り」と聞いたことはあるが、ここまで手作りとは。元は「書店員が卓球で遊ぶために作った」ものとのこと。ハックルベリー書店と呼びたいです。


書店員になって初めて作ったPOPはマルドゥック・スクランブルでした。ウフコック大好きだ!
 ときわ書房・八千代台店のNさん。ネズミのシルエットつきカードにて伝言、と思わせてご本人が登場。書店が違うのに駆けつけて下さいました。御礼参りのはずなのに足を運んでいただいてしまって大いに恐縮&感謝です。


大好きな彼氏が自分の部屋に来るときのように、お客さんを迎える棚を作りなさい
 丸善丸の内本店のIさん。店内の設計そのものを自ら綿密にプランして業者と打ち合わせた経緯をお話していただき大いに感心しました。床の色、棚の高さ、ライティング、各階のコンセプトによる導線作りなど。現場指導者でありプランナーでありオトメンである。


売ると言ってますので100冊ほどサインを
 三省堂書店・有楽町店の店長さん、書店担当員のKさんの伝言。さすがに御礼参りの書店訪問で、三桁サインは予想外でした。思わず奮起。書き切りました。


『天地明察』の火付け役
 角川書籍担当。有隣堂アトレ恵比寿店のKさんについて。出版される前の綴じ込み原稿(プルーフ)の段階で、書店熱の火種となって下さった方である。


今日は天気が良いですね
 ジュンク堂書店・池袋本店のTさんとFさん。この書店を知っている方ならわかる、屋上カフェへのご招待の一言。御礼参りの訪問なのに、お時間をいただいて歓談してしまいました。大いに恐縮しつつ、何とも言えない楽しいひとときでした。


本当ですよ!
 リブロ池袋店のYさん。本屋大賞の授賞式から間が空いてしまってすいませんという冲方の言葉に対して。授賞式の直後は、とんでもない大展開であったのに、とのこと。見たかった!(゜Д、゜)


 近日中に、関西の書店さんを訪問。名付けて「関西トライアングル遠征」。楽しみです。