2018年1月10日水曜日

【蟹バリズム万歳】



――何ですかこの具沢山なテーブルは。
「蟹の手づかみ料理のお店です。シリウス担当N氏のお誘いで行ってきました」

 Catch the Cajun Seafood(キャッチ ザ ケイジャン シーフード)
 http://cajun.baycrews.co.jp/

「料理というより漁場みたいで正しいヴァイキング感に小躍りします」




――食卓というより解体現場に見えますが。
「手袋をして、千切っては食い、千切っては食いの大宴会。甲羅のトゲトゲが刺さって手袋に穴が空くのも構わず食らいます」
――医療用手袋とお洒落柄のエプロンがハイセンスですね。
「一応の防御はありますが、蟹の香りが染みついて食後も良い匂いがします。店内に手洗い場所がちゃんとありますよ」
――まさに蟹まみれ。
「そして食が進むにつれ、サバト感が」



――黒魔術の儀式ですか。
「甲羅を並べてなんか呼び出せそうな気になります。あと、添え物のポテトが……」



――これは……何かを思い出させますね。
「あれに似てるなと。本当そっくりだなと。楽しくなってしまって。同席した方々の中には観てない人もいるというのに、途中からその話題ばかり振ってしまいました」





「ごちそうさまでした」

2018年1月7日日曜日

【BiSH】我、清掃員となりて【SUGOI】



――こちらはなんですか?
「けっこう前に、アイドル好きのつわものに連れて行かれたイベントですね。BiSHです。とにかく良いと。曲も良いと。熱く語られて、ふんふんと聞いていたら、百聞は一見にしかずだ、ということになって」
――アイドルはお好きですか?
「いや、まったく知らないので、勉強しないとなあと思ってました。好きな人の話はよく聞くんですけどね。本広監督とか塩谷監督とか。二人ともアイドルの映画撮ったり、ライブのアニメーション提供したり、すごいなあと」


――これは?
「ファンの腕章です。ファンを清掃員扱いですよ。すごい感性だなと感心します」
――サミットでも試してみては?
「いや、どうやって(笑)。いや、シャツ売るくらいだからやってもいいのかな? いやいや、喜ばれるのか?」



――距離が近いですね。
「この距離感がね、僕が知ってるエンタメと全然違うんですよ。イベント後も一緒にチェキ撮ったり。接近感と親近感を刺激してくるというか。とんでもなく今さらですけど勉強になりました」
――撮ったんですか?
「撮りましたよ」



――異様に顔が硬いですね。
「初めてでどうしていいかわからず棒立ちです。写真見せたら店員さんに「今日からあなたはハシックスですよ、ふふふ」って言われました。ハシヤスメさんというお名前だからですね。ファンに愛称つけるのも面白くて。確かに百聞は一見にしかずです」
――このIDOLパーカーも持参?
「入り口でつわものに渡されて着ました(笑)。清掃員というか選挙の運動員みたいな気分でしたが、いろいろと刺激を受けました。確かに局もすごく良かった。楽しかったです」


2018年1月5日金曜日

【サイン大会】


――これは、アニメ『メイド・イン・アビス』のブルーレイボックスですか。
「黄瀬和哉さんがキャラデザをされていて。忘年会でお土産に頂いたおりに、サインしてもらいました。レグちゃん描いてもらってます」
――贅沢ですね~。
「原作も読みましたけど良いですよね~。ナナチ可愛いし」
――そういえばボンドルド卿に似てると言われましたね。
「いやいやヤバイやつでしょそれ。祈手に仕事手伝わせたいとは思いますが」

「攻殻のボックスにもサインしてもらいましたが、同席の方々がナマコの刺身の話をしてたのを聞いて、おもむろに素子の頭上にナマコを描き始めました。酔っ払いひどい」
――それはひどい(笑)
「そのうち『孤独のグルメ』もきっと描いてもらえるに違いないと信じてます」

2018年1月1日月曜日

【あけまして】2018【おめでとうございます】


あけましておめでとうございます!
2018年も邁進して参ります。
本年も何卒よろしくお願いいたします。


素敵年賀デザインBY ハヤカワ(ドジっ子)担当T 

2017年12月31日日曜日

【本年も】LAST DAY OF 2017【お世話になりました】

――2017年も残すところあと僅かとなりました。
「グッバイ、とりにく(酉29)。チキンがセールだったのは正月まででした」
――引き続き対話形式でお送りしております。今年を振り返っていかがでしたでしょうか?
「健康志向が高まりまくる一年でした。正月から九月くらいまで病院に行ったり運ばれたり。スケジュール調整が大変です。医療費の明細も大変です」
――最近は健康と。
「己を見直すべきときが来たなと。ハヤカワの担当Tさんから、某先生は週3でジムに通ってバリバリやってると聞きましてね。それは度しがたい。もとい、学ばねばと。もう一度、リングに上がるための体作りからしなければと覚悟しました」
――『ロッキーファイナル』みたいなノリですね。
「町が見渡せる階段、どっかにないですかね。あと、わりとお誘いに付き合うようになりました。飲み会とかライブとか。心身の健康力の差を見せつけられますからね」
――人の振り見て我が身を直せ、ではなく?
「芯から元気な方を見て学んでます。楽しいことしかやってないからストレスがない。日常生活もしっかりしてる。とにかく余裕がある。人間かくあるべしだなと思わされます」


――写真はドイツのAnimagiCですが、皆さん元気でしたね。
「スタッフもお客さんもフルパワーで楽しんでましたね。圧巻ですよ。こちらも負けじと来年は健康力アップです」
――来年は五本連載だとか。
「はい。全て小説です。月刊で『麒麟児』、隔月で『マルドゥック・アノニマス』、季刊で『剣樹抄』。あと二つ、月刊で書く予定です」
――ずいぶん増えますね。
「SF・時代もの・現代ものの三本柱でいくとずっと思ってましたし。久々の荒行です」
――小説現代さんからは、また官能ものの依頼が来たそうですが。
「想定外でしたわ。一度チャレンジしたら満足、というのは作家の都合で、プロなら継続しろ、となるんでしょうね。官能もので一冊出したいとおっしゃって頂いて……書く時間あるかな」
――WITノベルさんの方も、新人賞の審査だけでなく小説を書かれるとか。
「そっちも連載じゃないけどSF書きます。WITのWさんとノベル担当のシバッチさんのお二人と仕事するのは『シュヴァリエ』以来、十数年ぶり。ノベル担当のこの方、『カオスレギオン』の担当だったんですよ。お互いずいぶん遠くまで来たもんです」
――往年のチーム感ありますね。
「みんなおっさんになって再結集(笑)。そんなわけで、2017年までに培われたものを、2018年からは思い切りぶつけていきたいと思います」


 本年も大変お世話になりました。
 読者の皆さまへ、良いお年をお迎え下さい!
 

2017年12月25日月曜日



――今年もクリスマスシーズンが来ましたね。
(゜Д、゜)「ローマ時代に政治的都合で太陽神の祝祭日に生まれたことになったキリストさん、ハピバ!」
――素直さに欠けたお祝いの言葉ありがとうございます。
「そうですか? イブに腰痛で呻きながら混雑をかきわけて鍼を打ちに行ってたせいですかね。人間、痛いと心がすさみますね」
――その割に綺麗な写真ですが。
「大混雑の理由を見てやろうと思ったらね、真っ青なライトアップですよ」
――通称、青の洞窟でしたっけね。
「屋台が出てるかなと期待したんですが、あんまりなかったです。寒かったですね」
――ところで、なぜこんな風なインタビュー形式なんでしょう。
「書きやすいかなと思いまして。ブログって忙しいと後回しになるでしょう。楽に書ける方法はないかなってずっと試行錯誤してるんですけどね」
――方法とか言っている時点で楽じゃない何かを選択している気がしますが、それはさておき、今年はアニメの仕事が多かったようですね。
「そうなんですよ。今年のスケジュール見返したら、半分くらいアニメのシリーズ構成や脚本に日数をあててました」
――スケジュールを見直すと、三本平行ですね。
「発表はまだ先ですけど、三本です。辛かった。まだちゃんと終わってないけど」
――小説では『マルドゥック・アノニマス3』の発売が遅れてしまいましたが。
「いや、書き終わってますよ。割と早めに。ただ、SFマガジンで掲載する前に、出版しちゃうわけにはいかないので」
――ということは、連載が伸びたんですか?
「確かにいっぱい書いちゃったけど(笑)。でも一巻目と同程度の分量ですよ。一番は、シークエンスの終わりまで書くかどうかでね。途中で切って、次巻に引くのもありでは、という提案もあったんですけど、やっぱりシークエンスを書ききって出すべきだと」
――新たな展開があるわけですね。
「はい。『塩』部長が珍しく、『うるっときました』と言ってました」
――担当T氏は『あの人が死んじゃう、この人も死んじゃう』とあわあわしてましたが。では発売は来年早々に?
「2月に掲載される原稿までで三巻になります。年末年始に、連載のゲラを文庫用に加筆修正して、2018年3月に発売されますよ。ぜひ読んで下さい!」

――これはなんですか?
「サミットの忘年会で、『塩』部長の差し入れです。ぱっと見、ウフコックかなと思ったんですが」
――違うんですか? 猫にも見えますが。
「犬だそうです」
――犬!? そう言われてみれば、犬に見えなくも……。
「ちなみにケーキに見えて、実はシュークリームです。担当Tさんは『日持ちするものを買えって言ったのに』と、ぷんすかしてましたが、美味しかったですよ」
――ご自宅で忘年会をされたんですよね。
「バタバタしてたら、年末でどこのお店も空きがなくなっちゃって。アットホームな忘年会でした」
――そのお話もそのうちお聞かせ下さい。以上、試しにやってみた対談形式のブログ記事、お疲れ様でした。
「お疲れ様でした。意外に書きやすいので、またやろうかな」



2017年11月14日火曜日

独想

僕たち大人は、命を絶つことの馬鹿馬鹿しさを、ちゃんと子ども達に伝えられているだろうか。
命を絶つほどの苦しみに共感した上で、それは選択肢から外すべきであること、他に選択肢があることを、言葉や態度をもって伝えられているだろうか。

この国には、自死を望む子どもらに、共感するふりをして弄ぶ、地蜘蛛のような大人が、いつでも存在する。

かつて似たような出来事があったこと、それが延々と繰り返されていることを、ちゃんと覚えているだろうか。
なぜ繰り返されるかを、子どもたちのために考えてあげられているだろうか。

命を軽んじるのではなく、重んじているからこそ、人は命を絶とうと考えてしまう。
その重さを訴えれば訴えるほど、深みに陥る。
そういう子どもにとって、人生なんてどうにでもなると教えることが、他人から見れば自分の悩みがどれほど滑稽か、その命がまだまだ軽く、他人にすら自由にしてしまえるということを教えることが、どれほど救いになるか、示してあげられているだろうか。

命は最後の砦だ。
その砦を明け渡すことを考えてしまう苦しみを、身近な人間の誰にも打ち明けられないのは、生まれ育った一つの常識の中で、全てを考えてしまうからだ。

遠い他者を頼ってしまうのは、自分を捕らえる一つの常識とは異なる、別の常識と接することで、解放されることを無意識に願うからだ。

だがどんな常識も、結局のところ、最初で最後の前提に立ち返るものであることを知ってさえいれば、極端で陰惨で、希望のない結末に襲われることはないのではないか。

人間は、生きていること、それ自体が最初で最後の希望なのだ。

大人達だって、結局のところ、かろうじて、滑稽に、悩み続けてなお生きていることを、せめて伝えるべきではないのか。
そうすれば、自分が生きるためだけに、あらゆる他人を犠牲にせざるを得ないほど、行き詰まった大人が、どれほど多いかも、伝わるのではないか。
そうした危険をあらかじめ知っておくことができるのではないか。

かつて僕が育ったネパールで、内戦が起こり、そこで生き抜いた友人が言ったことが忘れられない。

「内戦で一万人以上死んだ。でも、日本では一年で三万人くらい自殺するんだろう? 日本に比べれば、この国は平和だよ」

この国は豊かだが、それだけだ。
豊かで重みがあるからそれを捨てることに価値を生み出す。
それが、どれほど滑稽か。
それが、あの小説を書いた理由だ。